伊達安芸様(涌谷伊達家)ー遺灰発見!!! | 08harusanさんのブログ

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伊達政宗様の生誕日だから、ではありませんがー朝刊より☆

宮城県涌谷町の涌谷伊達家墓所の門前に建つ石造五重塔(宮城県指定文化財)の内部から、伊達騒動(寛文事件)に関わった、四代当主伊達安芸(宗重)の遺灰を納めたと見られる香炉と杉材の曲げ物外容器が見つかりました。
同町教委は、霊屋(見龍院霊屋)が完成する前に三回忌の法要を迎えたため、先に建てた五重塔に分骨・埋納し、法要を行ったのではないかとみています。
外容器は東日本大震災で被災した五重塔の解体・復旧作業中の7月24日に発見されました。
3層目の石(42㌢四方、厚さ25㌢)の中心部に直径14㌢、深さ約10㌢の穴がくり抜かれ、中に納められていました。
香炉は青磁で口径4・6㌢、高さ6㌢。香炉のふたや外容器には、伊達安芸の法名「見龍院殿」舎利(遺骨)と書かれており、町教委は本人の遺灰でほぼ間違いないとしています。
伊達安芸は、寛文11(1671年)3月27日、江戸の大老酒井忠清邸で原田甲斐に殺害され、翌日火葬されました。
遺骨は4月に涌谷へ戻り納骨。葬儀が行われました。五重塔は寛文13(1673年)3月、霊屋は同年9月に完成しました。

*涌谷伊達家*
仙台藩一門第四席。涌谷伊達家は涌谷要害を居城として、22000石を領していた。


伊達騒動については、以前ブログに記しましたので、あえてここでは示していません。
伊達藩の歴史の中でも江戸まで巻き込んだ大事件“伊達騒動”ーそのあらましは大河ドラマ『樅の木は残った』を、改めて見直してみるのも一考かもしれません…◆◆◆