ついさっき、ヤフー動画で、「ゲド戦記」を発見!「おお!これは見ねば!」と早速拝見。

いやあ、これが、何と言うか…実にいい。某アニメ化されたものは横に置いといて(ありゃ駄目だ…主題歌以外は…)何がいいって、原作にほぼ忠実なのがいい。
ああ、あの地名ね…だとか、ああ、あのシーンね。などと、つい口に出してしまいながら、ほぼ「ゲド戦記」フリークとして夢中で見てしまった。

で、思い出した事がある。昔、読んだ、ゲド戦記の中でひどく印象に残った言葉があったのを。

それは、こんな言葉。(多少、いや、かなりの要約)

「ねえ、何故雨を降らせないんだい?雨を降らせる魔法なんて簡単じゃないか?」と言われた時、魔法使いが言った言葉。
「確かにここに雨を降らせる事は出来る。でもな、もしここで雨を降らせたら、ここに雨雲を呼び寄せるため、その為に、他のどこかの場所で、日照りで、人が死ぬ事になるかもしれない。それでも…お前はここに雨を降らせろと私に言うかね?」

この言葉は、初めて原作を読んだ小学生の時から、ずっと心のどこかに残っている。自分の欲の為に、何かを無理に捻じ曲げれば、きっとどこかの誰かが苦しみ、そして死んでしまう事になるかもしれない…

この問いに対して、いつも、自分が通り抜けてきた、それぞれの年代ごとに、答えを出し、そして否定してきた。

自分が世界で一番なのだから、人を殺してでも欲を優先すべきだとか、いや、他が苦しむのは、僕自身が苦しいから、我慢すべきだとか…で、いつも結局、確かな答えは出てこない。

ところで、僕には、一つ持論がある。これは、長年ずっと心に残り、揺るがない持論の一つ。遺伝子が、らせん状なら、きっと人の成長も螺旋に違いない。二つの、全くの正反対の意見がくるくると螺旋を描きながら高みへと昇っていく…
そしてその様は、上から見れば、ただ、同じ円を描いてるのに過ぎない。しかし…横から見れば…それは確かな3次元の世界。高さを持って、上へ、上へと昇っていっている成長の証…

苦しかったり、つらかったりの体験を繰り返すたびに、クルクルと回転していく答え。でもきっとそれは、遥かな高みへと昇るために、そして、誰かを許せるようになるために、どうしても必要な、苦渋の力。

で。その時、やっぱりこうも思う。僕は…魔法使いになりたいと。

それはけっして、手から火が出るだの、切断されても生きてるだの、といった奇術的なことではなく、心の魔法使いのこと。

魔法を使った結果を、覚悟して書かなければいけないと言うこと。例えば、この言葉を使えば、確実に傷つく人がいるだろう。このシーンをやれば、古い傷をえぐられて、嫌な気持ちになる人がいるだろう。でも、それを覚悟して、嫌われる事を覚悟して、呪文と言う名の台詞を書かなければ、きっと真の魔法使いにはなれないだろうと言う事。

じゃないと、ちゃんと雨を降らせる事が出来ないから。

自分自身の心をえぐり、溢れ出る痛みや血、若しくは、古傷の下に眠る、死んだ筈の血管の脈動までも感じながら、それでも言いたい、言わなきゃいけないと思えるような言葉の群れを、呪文と言う名の台詞に変えて、皆に伝える…それこそがしんの魔法使いだと思う。 そして、そうするからこそ、ちゃんと、雨を呼ぶ事が出来るんだと思う。

改めて。

僕は、「覚悟の魔法使いになりたい。」

深夜、つうかもうすぐ徹夜あけの夜明け前。
パートナーは発泡酒2本の独り言。