先日アップした↓の話の続きです。
障害を持っていたものの、支援もないまま中学を卒業した叔父。
自分で生活する力をつけるため、そして近くでそのサポートができるよう、親子で故郷を離れ一緒に住み込みで働きました。
後に叔父の父である祖父が会社を興し、長い年月を家族や親戚に囲まれながら一緒に働いていました。
親が農家などの一次産業や自営業の場合、その人ができる内容の仕事を適宜割り与えながら、一緒にサポートして仕事を進めることができます。
ひと昔前であれば、日本の人口の大多数が一次産業や二次産業に従事していたので、このような形態で働くことが可能であったのだと思います。
しかし、ある日事件が発生します。
突然、叔父の行方がわからなくなったのです。
警察に連絡し、皆で叔父を探していた数日後、
当時の住まいから数百キロ離れた他県で叔父が発見されたと連絡がありました。
叔父はフラフラと彷徨っていたところを、地元の警察に発見されたそうで、警察の方がどこに行くつもりかを質問すると、
「田舎に帰りたい」
と答えたそうです。
幸いにもケガもなく元気そうだったので、そのまま警察に保護され、無事に家族の元に戻ってきたのですが、叔父が生まれ育った田舎に帰りたがっていたことを初めて知った祖父母は、大きなショックを受けたそうです。
叔父が抱き続けていた望郷の念。
その気持ちを知った祖父母は、今度は親子で田舎に帰る決心をしたのでした。
私が叔父に初めて会ったのは、既に田舎に帰ってきた後だったので、都会で仕事をしていた時の姿はわかりません。
でも私の知っている叔父は、山菜採りの名人として地元の人に知られていて、早朝から山に入り袋に一杯になったものを夕方に持って帰ってきて地元の方に売っていたり、時々地元の高齢者から力仕事をお願いされて手伝いに行ったりと、田舎でのんびりと、でも生き生きとしながら暮らす姿でした。
③に続きます