■見方の違い
義経は兄である頼朝のために
獅子奮迅の活躍をして平家を打ち滅ぼしたにも関わらず、
その功は報われずに弁慶と諸国を周り
平泉で泰衡の手によって殺されてしまいます。
多くの小説や大河ドラマでは義経が悲劇のヒロインとして
描かれております。
しかし、見方を変えて頼朝目線で見ると、
頼朝は武家の社会を作りたく、
公家に仕える武士では無く、
武士の棟梁に仕える武士を作るために奔走したと、
吾妻鑑では伝えられているように感じます。
平清盛も公家になることで、
平家の地位を押し上げました。
しかし、頼朝は公家にはならずに武士の地位を向上させて、
更には公武合体を成し遂げようと
天皇家に娘を嫁がせたりしましたが、
その試みは上手くいかなかったようです。
その頼朝の志とかけ離れてしまったのが義経でした。
後白河上皇に位撃ちされて、
頼朝の推挙を待たずに任官してしまいます。
元々、武士の統率をする機関として院が作られた経緯があり、
武士の統率権と官位の任命権を持っている後白河上皇と
武士の棟梁の家柄である頼朝の権力争いの中で、
義経は後白河上皇に抱き込まれた形になってしまいました。
頼朝から見た場合には、
これから頼朝を中心とした武士の勢力を作りたい中、
朝廷と武士は頼朝を通さずに直接つながりを持つことを嫌ったと
考えられます。
ある意味で義経は公家支配の武家社会から
武家支配の武家社会と言う変革についていけなかった
とも言えるのかもしれないと思いました。