■名宰相
春秋戦国時代の名宰相で
後に三国志の時代に現れた諸葛亮が
管仲に匹敵する人と称される位
名宰相の代名詞的存在です。
春秋戦国時代と呼ばれる時代には
五覇と称される5人の覇者が入れ替わり現れるのですが、
その最初の人物が斉の国の桓公と言う人でした。
ちなみに五覇と言いつつも誰が五覇に入るかは文献によって違いがあります。
斉の桓公と晋の文公は必ず入りますので、
この2人を称賛するためと、
少しでもこの2人に並ぶ人が出てくると
たたえる意味を込めて覇者と呼ばれていたのかも知れません。
それはそれとして、
管仲は桓公を覇者にした名宰相と言われております。
元々、管仲は公子糾と言う桓公の兄に仕えていました。
桓公と公子糾は訳あって外国での亡命生活を送っていたのですが、
先に斉に帰った方が斉公の座に付けることになり、
公子糾に仕えていた管仲は桓公を暗殺しようとします。
その企みはうまく行き、桓公は棺桶に入れられて斉に向かうことになりました。
ところが、公子糾と管仲が斉に帰り着くと
死んだはずの桓公が斉公に即位していました。
その後、管仲は暗殺の首謀者として桓公に呼び出されたのですが、
本当の理由は宰相にするためでした。
これには鮑叔牙と言う人物が関係しており、
桓公を棺桶に載せ替えて斉へ向かうことで
無事に桓公を即位させた鮑叔牙が桓公から
宰相の座を与えると言われた際に天下を望むなら
管仲を宰相にするべきだと言われ、
わざわざ他国に亡命していた管仲を引き渡させてまで宰相にしました。
この桓公の懐の深さと鮑叔牙のいさぎの良さは
流石としか言いようがありません。
ちなみに鮑叔牙と管仲は幼馴染で
後の管仲の述懐では様々なエピソードが挙げられております。
この二人の利害を超えた親密な関係のことを
「管鮑(かんぽう)の交(まじ)わり」
と呼ばれております。
余談ですが鮑叔牙の叔の字は
大抵の場合三男を表す場合が多く、
鮑家は桓公の他に桓公の兄の襄公と
公子糾にも長男と次男を家臣として
出仕させていたのではないかと思われます。
昔の世継ぎ問題は不安定であり鮑家のように
リスクヘッジをする必要があったのだと感じました。