■オスマン帝国
明治時代にオスマン帝国から日本へ来た軍艦です。
1890年に親善のために明治天皇陛下に親書を持ってきて、
その帰りに和歌山沖で台風に遭い沈没してしまいました。
このときに和歌山県串本町の人々に救助されて
生き残ったのが69人と言われております。
このときの串本町の人々は台風時期で漁にも
出れなかったため、なけなしの非常食を惜しみなく出して
介抱したと伝えられております。
その2年後、山田寅次郎と言う人が寄付金を集め、
遺族へ渡すためにオスマン帝国に渡っております。
民間人でありながら、ときの皇帝に謁見することができ、
山田寅次郎の行為に感激した皇帝に
オスマン帝国に残ってほしいと要請されます。
その後、山田寅次郎はオスマン帝国に残り、
士官学校で日本語と日本について教えることになったそうです。
その時の生徒にトルコ共和国の初代大統領となった人物がいたようです。
更に、現在のトルコでも日本についての授業では
山田寅次郎について教えられている場所もあるようです。
トルコ人はそれらの恩を120年経った今でも
心にとどめており、日本はトルコにとって友達だと
思ってもらえているようです。
その友情を確かめるようなエピソードは
すでにご存じの方も多いかと思いますが、
1985年のイラン・イラク戦争のときに表に現れてきました。
イラン上空を飛ぶ飛行機の無差別攻撃を
発動したイラクに対して、イラン在住の日本人は
日本とイランを結ぶ定期便が無いため、
帰るための飛行機が無く、ときの中曽根首相は
なすすべがありませんでした。
日本航空は上空の安全が確保できないと
飛ばないと言う状況の中で、
自衛隊機を飛ばすことは憲法違反になるため、
外国に頼るしかなかったのですが、
48時間と言うタイムリミットと
その時間的な約束を守るかもわからないと言う
危険すぎる無差別攻撃宣言の中では、
諸外国も助けてはくれませんでした。
その中、飛行機を飛ばしてくれた国がトルコでした。
当時のイラン駐在のトルコ大使は
危険だが日本との友情のために決断した。
かつて山田寅次郎がしてくれたように。
と言っておりました。
その後も、地震で被害を受けた
トルコのために日本から支援をしたりと
両国の親交が続いているようです。
ペイフォワードと言う考え方とでも
言うのでしょうか。
キリスト教で言うところの
与えよ、さらば与えられん
でしょうか。
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