■関白

 秀吉の跡継ぎとして

関白に就任したものの秀頼の誕生と共に

爵位の剥奪、切腹処分にされた人です。


 この人はかなり評価が低い人ですが、

その例として、徳川家康との戦である

小牧・長久手の戦いで奇襲攻撃を仕掛ける指揮を

取ったときに見事、家康に裏をかかれて返り討ちに遭い

秀吉の覚えめでたい家臣が戦死したことに対して、

非常に戦下手と言う評価を受けております。

また、言いがかりに近い悪政を行ったと言われている場合があります。


 しかし、当時の家康に野戦でかなう武将はいないと言われており、

事実、秀吉もこの後に家康との直接対決を避けて、

間接的に和睦をしています。


 また、そんな家康も若いころには

三方ヶ原の戦いで武田信玄にボロボロに負けています。

若い秀次が老練な家康に負けたことで、

無能と言ってしまうには余りにも不公平と言えます。


 また、悪政に関しても

領内では善政を行ったと言う記録が少なからず残っており、

秀吉も少なからず政治を任せていることからも、

それほどまずい政治を行っていたとは考えづらいです。

この頃の政治は秀吉と秀次の二元政治になっており、

その秀吉の政治への影響力を秀次が徐々に奪い、

政治の一元化をしようとしていたと言う説もあるようです。


 政治家としての手腕はもしかすると

かなり上手だったのかも知れません。


 かなり持ち上げてしまいましたが、

評価は時代とともに変わるものと、

時代が変わっても余り変わらないものがありますが、

秀次の場合は余り変わらない部類に入るのではないかと思います。

そんな歴史も少し深く見てみると違った印象を受けます。


 おおよその場合は

通説と言うか、印象的なものが8割を占めているのかと思いました。