■五大老

 この人は秀吉政権下で

徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家

そして小早川隆景が五大老として任命されておりました。

上杉景勝は小早川隆景が死んだ後に五大老に加えられました。


 こうしてみると、

小早川隆景だけが元々は大名では無く、

毛利家の家臣です。

これは本能寺の変で信長が暗殺され、

秀吉の中国大返しの際に追撃をするべきとした、

吉川元春らに対し、

安国寺恵瓊と小早川隆景は追撃に反対しており、

特に小早川隆景はここで秀吉をうち滅ぼしてしまえば、

天下がまた乱れてしまい、

戦国の世が長く続いてしまうと言った趣旨のことを主張したと

言われているようです。


 実際には滝川一益のように北条氏の激しい追撃にあい、

領地をすべて奪われて命からがら戻ってきた武将もいたので、

このときに秀吉が毛利の追撃を受けていたら

明智光秀を打ちとるどころの話ではなかったため、

そのことに恩義を感じた秀吉の計らいと信頼が、

小早川隆景の五大老入りだと思われます。


 この頃の戦国武将は戦乱の世が長く続いたせいか、

歴史の変わり目で度々、平和志向の決断が見られます。

特に毛利家にはその感が強く、

吉川広家がのちの関ヶ原の合戦で、

その考えを基に行動しているようにも思えなくもないです。


 次回はぜひその辺を書ければと思います。