日本の戦国時代の出来事を見ていると、
当時の日本人が中国の歴史書を読んでいたんだと感じます。
足利義昭が信長の助けを借りて将軍になったときに、
義昭は信長のことを「父」のような存在であるとの
讃辞を送っています。
これは、項羽と劉邦の時代に
項羽が自分の補佐をしていた范増と言う家臣のことを
「亜父」(父に次ぐ存在)と呼んでいたことなどから、
中国の文化や事例に影響を受けているのかなと
感じる部分があります。
また、秀吉の立身・出世を残しているものに、
秀吉は貧乏な家に生まれたため、
幼くして寺子屋に預けられたような記述をするものもありますが、
これも、当時の中国王朝であった明の初代皇帝の話と
類似しています。
また、秀吉は農民の出身でも、
それほど貧乏な農家の出ではなく、
秀吉の生前からこのような説があったことからも、
秀吉が意図的に明の皇帝となぞらえたと
考えたほうが自然ではないかと言われているようです。