■3つの位


 信長が京都に行った際に、

3つの位のうちどれをもらいに行ったのかと

想像しました。


 3つの位は、征夷大将軍・関白・太政大臣

ですが、この中でどの位が欲しかったのかと

考えたのですが、

信長は足利義昭に副将軍の位を勧められたときに、

断り、堺の統治権をもらったことを考えると、

No.2の位では満足しなかったのかと思い、

3つの位の中で、どの位が一番高い位なのか

考えることにしました。


■征夷大将軍

 征夷大将軍は武士の中で一番高い位とされており、

信長の時代までに鎌倉幕府、室町幕府とありました。

この幕府の力ですが、鎌倉幕府は関東を統治する役割で、

まさに征夷と言う意味だったのかも知れません。

(夷は東北地方の豪族の呼び名で、

夷を征するために坂上田村麻呂が

初めて征夷大将軍に任命されました。)

そして鎌倉幕府は執権政治で北条氏が実権を握っていたこともあり、

征夷大将軍のイメージに乏しいです。


それをうち滅ぼした室町幕府は京都に居を構えていたこともあり、

鎌倉幕府よりも朝廷に近い存在でしたが、

室町幕府も第3代将軍、足利義満の後からは

管領が絶大な力を持っていたこともありますので、

何とも言い難い存在だったように思います。


■関白

 関白はのちに秀吉が就任しますが、

そのもっと前には藤原氏による摂関政治で

有名なように、朝廷内で絶大な権力を持っていました。

天皇が成人前には摂政、成人後は関白と言った感じで、

常に関白と言う役職が朝廷のトップだったと思われます。


■太政大臣

 太政大臣はあまりなじみのない役職で、

どのような人が就任したか見ると、

武士では平清盛と足利義満のようです。

この後に秀吉も家康も秀忠も就任したようですが、

この頃では武士ではほとんどいないようです。


 平清盛は言わずも知れた超権力者で、

一族の一人が「平家にあらずんば人にあらず」

と言う歌まで作るくらいの大人物です。


 足利義満は室町時代に分かれていた

南北朝を統一した実力者で金閣寺を建てたり、

北山文化などで有名な人です。


 ちなみに太政大臣は中国では相国と言う地位が

それにあたるみたいで、三国志の時代に董卓がついた

役職で有名です。


 相国と言う位は非常の職で、

権力がありすぎるためにいわば封印されている

役職で常職として宰相が用いられていたみたいです。


■結果的に・・・

 結果的に生前に太政大臣になった人は少なく、

死後に追悼の意をこめて送られる

名誉職であったことからも、

太政大臣を求めようとしたんじゃないかと想像しましたが、

これも賛否両論ありそうな感じがします。

もしかすると、そもそも上記の3つ以外の何かを

求めていたのかも知れませんが、

想像の域を脱しないです。