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札幌東洋伝承エステ ユルミント
いまむらまどかです。

 

 

 

いよいよ最終章ですピンクハート

 

前回のお話はこちら

 
 
 
 
 
 
 
やっと入院して

闘病スタート

 
 
 
すぐ抗がん剤
 
 
 
 
副作用で具合悪かったり、痛かったりと
調子の良い時と悪い時の差が結構ありました。
 
 
 
 
 
明日はどうなるか…
 
そんな不安を抱えながらの毎日。
 
 
 
 
 
 
本人はもちろん
体も精神的にもしんどい日々…
 
 
家族も本人ほどではないにせよ想像以上にしんどい。
 
 
 
 
 
先生から話があると呼ばれる度にドキッ。
具合悪いと言われてドキッ。
 
 
 
心臓が痛くなります。
 
 
 
 
 
少しでも緩和できれば…
 
 
 
【病院の治療以外でやってみたこと】
水素水、漢方、霊芝、フコイダン、菊芋…
 
 
 
良さそうなものは試しました。
 
 
 
 
体温も上がり緩和してるような気がしました。
 
 
 
 
 
 
当時、母は一人暮らし。
父は本州、長男は帯広、私は札幌とバラバラ。
 
近くに次男夫婦が住んでいて
母の実家や兄弟もみんな近くにいたので随分助けてもらいました。
 
 
 
 
 
 
 
毎日何か良い情報がないかとアンテナをはって
いました。
知れば知るほど癌という病の
恐ろしさ、憎らしさが増します。
 
他の病気もそうだと思います。
 
 
 
 
 
 
 
医学も日々進歩していて、
ノーベル賞を受賞した本庶佑さんのように
頭の良い方がずっと研究してくれたおかげでオプジーボのような新薬が出来て…
頑張って治療されている方にとっては
 
少しでも治る可能性があるならと、希望の光となることは確かです。
 
 
 
 
 
 
ただ、標準治療にせよ免疫チェックポイント阻害薬にせよ
効果があるのはわずか。
 
 
 
そして、ものすごい副作用に苦しむ。
 
 
 
 
 
自分の細胞なのに
自分の意思とは関係なく進む病
それと24時間戦う免疫細胞
 
 
 
 
 
私は元々、
人間の体はすごく神秘的で
すごく好きでしたが
 
今回母の事があって免疫について
体の仕組みについて
 
知れば知るほど
本当に人の体は良くできていると
思いました。
 
 
 
 
 
 
それと同時に今まで
エステティシャンとしてやってきた事が
あまりにも薄っぺらに感じ
何もできない事に悔しさもありました。
 
 
 
 
 
 
 
医者でも研究者でもない
私には何が出来るのだろう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後母は年末まで持つかどうか・・・
という先生の予想を裏切り
 
お正月を家で迎え
会えないと思われた孫にも会えて
驚きの生命力を見せました。
 
 
 
 
このまま治るのでは?
 
そんなふうに思うほどでした。
 
 
 
 
 
 
しかしそんなにうまくはいきません。
 
 
 
 
毎日、毎時間、変わる容体。
 
 
 
昨日まで元気に見えていても
急に悪化
 
 
 
 
それを繰り返す。
 
 
 
 
 
 
 
ついに主治医から
いつどうなってもおかしくないからそろそろ心の準備を…と。
 
 
 
 
 
 
すぐ病院へ向かいました。
 
 
 
 
言葉もうまくしゃべれなくなり
痛みも激しいみたいで
見ているのが辛かったです。
 
 
 
 
 
病院で様子をみていましたが
まだ大丈夫そう。
 
 
 
 
 
 
 
近くに居たいけど職場も人数足りずずっと休むわけにもいかず
家族にお願いして私は仕事のため札幌に帰りました。
 
 
 
 
 
次の日は仕事はしていても心ここに在らず状態です。
 
 
なんでこんな時に仕事しなきゃならないのか・・・
仕事って何なんだろう・・・
 
 
 
 
 
 
 
そんな時
弟から不在着信とメールが。
 
 
 
 
 
嫌な予感………。
何かあったんだな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
少し覚悟し震える手でメールを開くと
 
 
 
 
「電話出なかったからとりあえずメールにする。
今、標茶のばーちゃんが死んだらしい。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
え??
 
何だって?!
 
 
 
 
ちょっと待って……
母さんの間違い?
 
 
 
 
ん?
ばーちゃん?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
何度もメールの文字を読み直し
頭を整理しようとするが
フリーズ……
 
 
 
 
 
すぐ電話して聞いてみると
 
 
 
 
 
 
 
こっちもわかんない。
心筋梗塞でドクターヘリが行ったみたいで…
とりあえず標茶に向かう!
 
 
 
 
 
 
 
みんなパニックです。
 
 
 
 
 
 
 
 
そりゃそうですよね。
母の事しか考えてなかったのに
突然前触れなく祖母が。
 
 
 
 
 
 
私はその日はもう夕方で帰っても深夜になる為
次の日、休みをもらってまた釧路へ。
 
 
 
 
 
 
 
私の職場もパニックです。
 
「とりあえずこっちは大丈夫だから行っておいで」と言われ
ありがたさよりも申し訳なさの方が大きかったです……
 
 
 
 
 
どうやら祖母は心筋梗塞でドクターヘリに乗るまでもなかったようでした。
祖父とヘルパーさんがいて良かった。
 
どうやら苦しむことはなかったようで
それだけがせめてもの救いでした。
 
 
 
 
 
昔からいつでも見方でいてくれた
大好きだった祖母との
突然の別れ。
 
もっと会いに行けば良かった。
何もしてあげられなかったと後悔ばかりが出てきます。
 
 
 
 
 
この祖母の死を母に伝えるべきか。
ショックを受けるから言わない方が良いのか?
言わないとなると母に会えない(自分の死が近いから帰って来たと動揺する為)
 
 
 
 
家族会議の結果、
近くにいるのに会わずにいるのはどうなのかという事になり伝えた。
 
それは私のわがままだったのですが
母ももうすぐだろうと思っていたので
会えるうちに会っておかないと後悔しそうだったから。
 
 
 
 
やはり相当ダメージを受けていました。
 
 
 
 
そこから標茶↔︎釧路(約50分)往復の日々。
 
 
 
 
 
祖母の葬儀まで3日あいた。
 
 
それまで日中は母の見舞い。夕方から親戚と家の掃除や準備をしてバタバタ。
 
 
 
 
 
 
 
 
祖母の葬儀前日の夜9時頃
遅めの夕飯を食べていると病院から電話が。
 
 
 
 
 
容態が悪化したのですぐ来て下さい。
 
 
 
 
 
 
慌てて着替えて向かう。
どうか間に合いますように
と祈りながら。
 
 
 
 
 
 
 
車の中はシーンとして
誰も言葉を発さなかった。
 
 
 
 
 
 
 
着くと意識はまだあった。
もっとぐったりしてるかと思ったら
「来るの遅かったね」なんて言われ…
 
 
 
少しもちなおしたようだった。
 
 
 
 
 
 
 
これ以上の回復はないと言われ
母の兄弟も集まり最後の会話をして
 
これ以上苦しまないよう
主治医に薬で眠らせてもらう。
 
 
 
 
 
 
これが最期だと思うと涙が出そうだったが
母の前では堪えた。
 
 
 
 
 
 
「また明日ねー!おやすみ!」
病室を出て泣き崩れる。
こんなに涙が出るとは思わなかった。
 
 
 
 
 
 
 
そして静かに訪れるであろうその時をみんなで待つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
30分…
1時間…
なかなか呼びに来ない。
 
 
 
しばらく経ち、0時過ぎた頃
「まだ時間がかかりそうなので一度お引き取り下さい」
「何かあればすぐ連絡します」と看護師から伝えられる。
 
 
 
 
 
こんな事あるの?
 
 
 
 
 
みんな家に帰り仮眠。
疲れもありあっと言う間に朝になっていて飛び起きる。
 
 
 
着信は?
みんな自分の携帯を見る。
 
 
 
 
ナイヨネ……??
 
 
 
 
 
 
 
居ても立っても居られず
すぐ病院へ向かう。
 
 
 
 
 
母意識があり「おはよう」と言っている…
 
 
生きてるの??
 
 
単純にそう思った。
 
 
 
 
もう母の声は聞けないと思っていたので
みんな「おはよう」と言いながらキョトン…
 
 
 
どうやら心臓が強いらしい。
 
 
 
昨日の涙は一体……
返してもらおうかと思いました。笑
 
 
 
 
 
 
 
昼過ぎから祖母の通夜の為
標茶へ向かい
通夜が終わったら病院へ付き添い。
交代で仮眠をとる。
 
 
 
 
翌朝また標茶へ。
そんな事を繰り返し数日間。
 
 
 
 
 
 
母も少しずつ衰弱し、眠る時間が増えていきました。
 
そしてそれと比例するように私たち家族も心身共に衰弱していきました。
 
頭がぼーっとして、疲れているのか何なのかわからず気力のみという感じです。
 
 
 
 
その時職場に一応連絡しないと。と
職場の先生(前々回参照)にお休みのお礼と今の母の状態説明をしました。
 
 
 
 
 
すると先生は
 
「後何日休みが必要?
お母さんが逝けないのは貴方が言って欲しい言葉を言わないからです。
それを探して言ってあげたらお母さんは安心してすぐに逝けます。」
 
 
 
 
あと何日かなんてわかるわけがない。
とてもその言葉に怒り、失望し
この人とはもう関わりたくないと思いました。
 
 
 
 
 
 
ここでもう仕事辞めようと決意したように思います。
 
 
 
 
 
 
そして
祖母の初七日の日の朝
祖母が迎えに来たのか、その日に母は家族に見守られながら旅立ちました。
 
 
 
 
祖母の初七日は行けませんでしたが
最期に立ち会えてよかったと思います。
 
 
 
 
何度も息を吹き返し最期の最期まで
全力で闘っていたと思います。
 
痛みからやっと解放され楽になれたのか穏やかな顔でした。
 
 
最期まで親切に接して下さった
医師、看護師の皆様に本当に感謝しています。
 
 
 
 
 
 
悲しみに浸る暇なく
そこからまた葬儀の手配など多忙な日々を過ごし
初七日を終えた頃、
 
 
今度は祖父が入院。
 
 
 
元々癌はあったものの
高齢の為そんなに進行する事はなかったのですが
心労がたたったのでしょうね。
 
 
家に一人で住むのも寂しそうでした。
 
 
とても頭が良くしっかりしている祖父は
祖母が倒れた時も葬儀の喪主もしっかり務め
 
毎日ばーちゃんおはよう
今まで幸せだったね
 
と手を合わせ、先に逝けていいなぁ。と言っていました。
 
 
 
 
 
そんな祖父は
祖母の四十九日の日に旅立ちました。
 
 
 
やっぱりばーちゃんはじーちゃんを一人にしておくの可哀相だと思ったのかな?
 
 
 
生きていた頃のように
「じーちゃんなら一人で何にも出来ないんだよ」
とばーちゃんの愚痴が聞こえてきそうでした。
 
 
 
 
そして三人の亡くなる日の関連性
祖母の初七日に母が亡くなり
祖母の四十九日に祖父が亡くなり
 
 
 
そんなこんなで2ヶ月間に家族を3人も見送って、もう誰も続きませんようにと祈ってました。
 
 
 
 
 
 
よく不幸は続くといいますが、こんなに短期間に続けてはあまりないらしくお坊さんもビックリしてました。
 
 
 
 
 
 
「人はそんなにすぐ死なない」
 
 
 
と言いますし、私もそう思ってましたが
この経験をしてからは
 
 
「人はすぐ死なないと思わせておいて
突然『死』というカードを胸に突き付けてくることもある」
 
 
と思うようになりました。
 
 
 
 
 
 
 
限りある命をどう使うのか。
すごく考えさせられました。
 
 
この気づきをくれた3人に感謝です。
 
 
 
 
 
 
 
この経験を通して
 
心も体も健康でなくては何も出来ない
 
いつ何があるかわからない
 
と思うようになりました。
 
 
 
 
 
 
いつかやりたいことがあるなら
いつか叶えたい夢があるなら
 
すぐにやらなきゃ!!
 
 
 
 
 
 
 
自分として生きていなかったり
幸せと言える人生ではないなら
 
今すぐ変えなきゃ!!!
 
 
 
 
 
 
人生は一度しかなくて
過去に戻ることができない
 
 
あの時こうしておけば・・・
 
 
 
やらなかった後悔って大きいと思います。
 
 
 
 
 
何を大切にして生きたいか?
何のために生きるのか?
 
 
 
自分の本音と向き合う事って
必要だと思います。
 
 
 
 
私もたくさん向き合って
salonを持つという選択をしました。
 
 
ものすごく恐いし勇気がいりました。
 
 
でも私を生きたいからハート
 
 
 
 
 
そして

楽しく幸せな人生を生きる人を

増やしたいハート

 
 
 
 
最後まで読んで頂き
ありがとうございました乙女のトキメキ
 
 
 
 
 
 
 
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