人生って | おちのブログ

おちのブログ

ブログの説明を入力します。

父が亡くなった時に、相続税が発生するほど遺産が無かったことや弟が海外赴任中だったこともあり、相続を先延ばしにしようと兄弟3人で話し合い6年が経った。


弟が国内勤務になり、コロナ禍で海外出張も殆ど無くなった為、僅かな遺産を分けようかという話になったので、市役所に父の原戸籍を取りに行ってきた。


戸籍を見ると、7人兄弟だと思っていた父には、生まれてすぐに亡くなった妹や兄がいた。


祖父や祖母の出自を見て、明治、大正、昭和の時代を想像した。


戦争中、子沢山の田舎の貧しい百姓が、娘や息子を一生懸命育てた。


長男が家督を継ぐ時代、四男だった父は、一旗あげようと14歳で満州開拓青少年義勇軍に入団した。


満州に渡ってみたら、一旗あげるどころか、そこでは開拓と共に鉄砲を持たされ戦争予備軍そのものだった。


終戦より一年ほど前に、日本に戻れる機会があり、上司に「お前は日本に戻れ。二度とここには帰ってくるな。」と諭され帰国したのだ。


終戦後バスの運転手になったが、上の兄に誘われサラリーマンを辞めて、一緒に運送の事業を立ち上げた。

二人で土地を買い預金をし、田舎の高額納税者になった。

ところが、ある時共有名義だった土地や預金が、全て兄の名義に変えられていた。


身内による裏切りで財産を無くした後、父は苦しみの中から自分の暮らしを立て直して、私達を育ててくれた。


生前父は、「俺は、兄貴が亡くなる前に一言詫びの言葉が欲しかった。済まなかったという言葉を聞きたかった。」と度々口にした。

最期に、兄弟の関係を取り戻したかった父。


父は裏切られた兄の葬儀に出た時、その息子に「代わりに謝って欲しい」と頼んだが「私はあの親父の息子なんだから謝らない」と言われた。

その息子は、父の告別式にも葬儀にも参列した。

心の中で、父に詫びてくれていたのだろうか。


そんな父のルーツを思い出しながら、逆らえない時代や境遇の中で、人生を歩んでいくということの意味を改めて考える。