大伴家持 桜の歌 三首 萬葉集巻二十より | ひだまり 日常生活

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萬葉集の巻二十に大伴家持が詠んだ桜の歌があります。

天平勝寶六年に兵部少輔となった家持は翌天平勝寶七年に防人に関する任務にあたる為、難波に赴任します。
当時は聖武天皇が譲位され聖武上皇となられて孝謙天皇の時代でした。先の聖武天皇は平城京から恭仁宮、難波宮、紫香楽宮、再び平城京と遷都を繰返されました。

これは家持がその難波の宮を讃えて詠んだ歌です。


桜花 今さかりなり 難波の海
おしてる宮に 聞こしめすなへ

(巻二十 4361)

日付は天平勝寶七年二月十三日で今の太陽暦では四月三日頃にあたります。





そしてその四日後に奈良の都から難波へ来た途中の竜田山を回想して詠んでいます。


_ 独り竜田山の桜の花を惜しみし歌一首

竜田山 見つつ越え来し 桜花
散りか過ぎなむ 我が帰るとに

(巻二十 4395)

二月十七日は太陽暦の四月七日ごろで、ちょうど今日がこの日にあたります。




それからおよそ二週間後の三月三日(四月二十二日)


含(ふふ)めりし 花の初めに 来(こ)し我や
散りなむ後(のち)に 都へ行かむ

(巻二十 4435)

※「含めりし花…」まだつぼみだった花


かつての聖武天皇の難波宮を満開の桜と共に讃え、都から越えて来た竜田山の桜花を惜しみ、花が散った後の都へ帰る未来を想う。この三首をみると桜は当時も今もまさに時の流れを感じさせる花なのだなあと思います。

兵部少輔という役職であった大伴家持は彼自身が無事で都へ帰ることと同時に防人たちも無事に故郷へ帰ることを祈っていたに違いありません。