この歌は『源氏物語』薄曇の巻に上の句が台詞として引用されています。
『玉勝間』六の巻に「夢のうき橋」と題して説明がありました。
「…いづれの集に出たるかはしらねども、河海抄に引れたり、」
また、萬葉集、懐風藻の例を挙げ「夢のわたり」が吉野の「夢の和太(ワダ)という名所であると述べられています。
〽吾行(ワガユキ)は久にはあらじ夢乃和太(イメノワダ) 瀬とはならずて淵にてあれも (萬葉巻三 三三五)
〽夢乃和太(イメノワダ)ことにし有けり うつゝにも見て来し物を思ひし思へば (萬葉巻七 一一三二)
夢淵(ゆめぶち・ゆめのわだ)、象(きさ)の小川、吉野離宮は現在、宮滝にあったということが通説となっております。
しかし、森口奈良吉氏の説によると夢淵も吉野離宮も現在の丹生川上神社中社の辺りであったと主張されています。

今となっては河海抄の夢の渡り、浮き橋はどこを示すのか定かではありませんが、時代を経て変わっていったとしても不思議ではありません。
紫式部が「夢の浮橋」と巻の名としたことについて『玉勝間』には「…名所なることをしらずして、かの歌なるをも、夢のことゝおもひ誤れるにやあらん、……巻の名につけたるより後は、ひたすら夢のことゝなれり…」
『源氏物語』より後の世は、「夢の浮き橋」は夢乃和太(夢淵)ではなく単なる“夢”の意味になってしまったようです。
今年の秋に現代語訳ではありますが『源氏物語』を読み終えたのを機に京都の宇治に行って来ました。宇治川は前日の雨で水かさが増していて、私が想像していた以上に川幅が広く流れの速い川でした。
私の中では「夢の浮き橋」は宇治川でもあり、吉野の宮滝でもあり、東吉野村丹生川上神社中社の辺りでもあります。また、川は濁流でもあり、清流でもあり、御祓する齋淵でもあります。

はるかおよそ千三百五十年前大海人皇子が宇治川を渡って吉野ヘ入られました。その吉野の地は宮滝だったのでしょうか。それとも丹生川上神社の辺りだったのでしょうか。

来年は彼の地ヘ行ってみたいと思っています。
※上の宮滝の画像は「なら記紀・万葉」のパンフレット、下の夢淵は丹生川上神社中社のHPよりお借りしました。