【大國主ノ神 國さりのくだり】
天御饗(あめのみあへ)たてまつる時に、ねぎま(禱白)をして …〈中略〉… 火をきりいでて(鑽出)、まをしけらく、此(この)わが(吾)きれる(所鑽)火は、高天原(たかまのはら)は、神むすび御おや(み祖)の命(みこと)の、とだるあま(天)の新巣(にひす)の、すゝ(煤)の、八束(やつか)た(垂)るまでたきあげ(燒擧)、地(つち)の下(した)は、底津石根(そこついはね)に たきこらして(燒凝)、栲繩(たくなは)の ちひろなは(千尋繩)うちはへ(打延)、つら(釣)せる海人(あま)が、大口(おほくち)の 小はた(を翼)すゞき(鱸)、さわさわ(騒々)に 引(ひき)よせ(寄)あげ(上)て、さき竹(析たけ)の とをゝとをゝに、天(あめ)のまなぐひ(眞魚食)たてまつ(獻)らむ とまをしき、
『古事記』 表記は『神代正語』より
「…大意はさかんに火を燒いて食物を作り、又海人が海より獲た澤山の魚をお供えするとの意味である。〈中略〉 ともかくこの詞は、祝詞の形の上で一つの原型と考へられてよい、古代の美文である。」
『祝詞式概説』保田與重郎

▼思うこと
「かへりこと(返言、復奏)」や「ねぎま(禱白)」、そして「祝詞」も「事依さし」に呼応したものであると思います。譬えるなら“こだま”“やまびこ”のような感じです。
「…さればかゝる祝詞が、そのまゝ返事(カヘリコト)(復奏)の意になることを考へるなら、これは實に現實にあつて嚴肅の道である。詔命は復奏に、詔のまゝを返事申奉るとき、神ながらみち足りるのである。詔命のまゝを申上げ得る時に完了する。これが「事依さし」の根本義であつて、承詔必謹の謹もその眞義は、この神ながらに於て考へるべきものと自分は信じてゐる。されどこの嚴肅が決して苦しい強制として現れてゐないところに神の道のおほらかさが畏まれる。神の道はおほらかにして、世間俗情に於てみちは狭いのである。」
『祝詞式概説』保田與重郎
承詔必謹:『日本書紀』巻二十二(憲法十七條)三曰、承レ詔必謹。
三にいう。天皇の命をうけたら、かならずそれに従え。譬えるなら君は天、臣は地。天が万物を覆い、地が万物を載せる。それによって四季は規則正しく移りゆき、万物を活動させるのだ。もし地が天を覆おうとするなら、この秩序は破壊されてしまう。そのように、君主の言には臣下はかならず承服し、上が行なえば下はそれに従うのだ。だから、天皇の命をうけたらかならずそれに従え。もし従わなければ、けっきょくは自滅するであろう。『日本書紀』現代語訳(笹山春生)
▼思うこと
率直にいうと「承詔必謹」は、時代によって思想の色をおびて都合のよいように解釈され、印象付けられてしまう言葉であるように思います。また、「神ながらに於て考へるべきもの」、此処の理解の拙さが独断の解釈に傾いてしまう要因かもしれません。そもそも神話を他国の観念で理解しようとするところにも問題があるようです。
▼結び
天忠組の草莽の志士たちの生きざまそのものが「事依さし」に呼応(こだま)する「かへりこと」だったように、保田與重郎が戦時中、戦地へ赴く人たちの餞として『校註 祝詞 全』を自費で出版したことも、「かへりこと」であり「ねぎま(禱白)」であったのだと思います。澄んだ心で空を見上げると、そこには“おほらかな道”があります。“いたく(甚)さやぎて(喧擾)”いるこの世に、何するでもない、唯々、穏やかな心になるよう努めるだけでも、「かへりこと」を体現しているのかなと、この頃ふとそう思うのです。
▼保田與重郎のことばと和歌
-今日の我々も亦、日本人の外國觀を根柢とする情勢論によつて、自國の態度を謬つてはならぬのである。こゝで頼るべきものは、外國觀でなく、よかれあしかれ自身自國の論理だといふことを悟るべきである。-
-我々が歴史に於て道の學を立てるといふことは、己もしその世にあれば如何に己を行ふべきかの志によつて史蹟に今を學ぶものであつた。-
けふもまた かくて昔となりならむ
わが山河よ しづみけるかも
