「事依さし」に関するノート 其の二 | ひだまり 日常生活

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【祈年祭:としごひのまつり】冒頭

集侍(うこなはれ)る神主、祝部等(はふりべども)諸(もろもろ)聞(きこ)し食(め)せと宣る。
高天原(たかまのはら)に神留(かむづま)り坐(ま)す、皇睦(すめらがむつ)神漏伎命(カムロギノミコト)、神漏彌命(カムロミノミコト)以ちて天つ社(あまつやしろ)國つ社(くにつやしろ)と稱辭(たゝへこと)竟(を)へ奉(まつ)る、皇神等(すめかみたち)の前に白(まを)さく、今年の二月(きさらぎ)に、御年初め(みとしはじめ)賜はむとして、皇御孫命(すめみまのみこと)の宇豆(うづ)の幤帛(みてぐら)、朝日の豐逆登(とよさかのぼり)に、稱辭(たゝへこと)竟(を)へ奉(まつ)らくと宣る。
御年皇神等(ミトシノスメカミたち)の前に白さく、皇神等(すめかみたち)の依さし奉らむ奥つ御年(おきつみとし)を手肱(たなひじ)に水沫(みなわ)畫き垂り(かきたり)、向股(むかもゝ)に泥(ひぢり)畫き寄せて、取り作らむ奥つ御年(おきつみとし)を、八束穗(やつかほ)の伊加志穗(いかしほ)に、皇神等(すめかみたち)の寄さし奉らば、千穎八百穎(ちかひやほかひ)に奉(たてまつ)り置きて、𤭖(みか)閉高知(へのたかし)り、𤭖腹(みかのはら)滿て雙(なら)べて、汁(しる)にも穎(かひ)に稱辭(たゝへこと)竟(を)へ奉(まつ)らむ。・・・

御年皇神(ミトシノスメカミ):稲のことをすべ知らす神
奥つ御年:稲
𤭖閉高知り云々:米より酒をかもして澤山に供へ奉る



▼[祈年祭]「依さし奉る」に関する説明の箇所
  保田與重郎著『祝詞式概説』より抜粋

・・・この寄とか「依」(よさし)といふのは、「授」といふのとは異り、授くといふのは、主客の間で任を總て人に附け、それを附した上は己は與らぬのであるが、「依さす」の方は、主客の相違はどこまでもあつても、依す側も依された側もあくまで相離れぬのである。即ち農作のことは御年神(ミトシノカミ※)の神業ながら、公民を代らしめ、しかもその本意は神の為し給ふといふ意味になる。されば次の條に、農民の勤勞をのべて、天下公民が「手肱に水沫かき垂り、向股に泥かき寄せて」働くことも、神の「依」の上から解さねばならぬ。これはまことに誓ひの意である。しかし誓ひの眞意は「事依さし」に即して考へねばならぬ。かくの如く働くために皇神のめぐみもあるといふのではなくて「依さし」のゆゑにかくは働くのである。即ち働くことが「事依さし」である。この「事依さし」の眞意は、國の大典政道の上て重大なことである。わが國では大小のことみな「事依さし」給ふので「授け委ねる」といふことはない。さればこれを體することを、政治經済一切の根本として考へられねばならぬ。人力をつくせば神助があると思ふのは、この意味ではなほ人為のさかしらごとであつて、人力を盡すことが「事依さし」に仕へ奉るみちである。こゝの本末を顚倒してはならぬ。これも今の世の中で、深く思ひあたるところであらうし、我々の生き方を決定すべき教へともなることである。(中略) この「事依さし」の中で私心を介入させることが、幕府的なものの根據となるのである。

※御年皇神(ミトシノスメカミ):稲のことをすべ知らす神



▼思うこと
稲をはじめ野菜などの作物は人間が作って育てているようで、実は自然の恵み、天の恵み、目には見えない力の方がはるかに大きいです。もろもろの草木や動物、私たち人間にも自然の恵み、天の恵みが大きくはたらいているのですが、ともすると自分自身が傲慢に自立して生きているような感覚になってしまいます。

“「事依さし」に仕え奉るみち”の意味するところは、近代的な観念から理解しようとすると誤解されやすいと思います。例えば滅私奉公とか利他主義という考え方は、一か零か、甲でなければ乙であるというものの見方だからです。
私は未だ眞意がつかめたと言うことは出来ませんが、“「事依さし」に仕え奉るみち”とは、天の恵み(天つ神とそのみめぐみ)を感じ、それに応えようと生きる生き方なのかなと思います。


天津神 あはれみたまへ 盡しこし
まこともあだと 亂れゆく世を

 天忠組 十津川郷士 田中主馬藏

(まこともあだと亂れゆく世… 天忠組は幕末の尊皇攘夷派、勤皇の志士であったが八月十八日の政変でこころならずも逆賊とされる。討死した志士もいれば、捕らえられ斬首された志士、また自刃した志士も(野崎主計)。田中主馬藏は脱獄の後病歿、享年三十五。)