一人の作家による伝記小説は読みやすさはあるが作家の想像の限られた世界で、筋書きがなされた印象を受ける。一方、本人の日記やその人に接した人々の話、エピソード等を綴り合わせたものは、自分の中でその人物像を描く。それは労力を必要とするが少しずつ人物に迫る愉しみがある。
そして、和歌からもその人物像をうかがいしることが出来る。
武士(もののふ)の腕をし鍛う太刀風に
秋の枯葉も散りつくすらむ
月清く故郷に似たる山何処
二度春を迎ふる歳の忙しさ
惜しからぬ老の身一人永らへて
行く末永き若人の散る
私がこの人物を知りたいと思ったのは、私自身が「軍の暴走」と歴史にレッテルを貼って思考停止してしまったのではないかという疑問と反省からである。知らずして自分の頭に整理されてしまった怖さからである。
私の理解が足りないと痛感した一文を挙げたい。
この人物と同期、沢田茂氏の話。
「尊皇は明治維新の精神である。日本陸軍はこれを建軍の精神として、堅持発展せしめた。そして、この精神の窮る所は遂に形而下の生死成敗を度外視し、ひたすら悠久の大義に生きんとし、七生報国の激情となる。終戦時わが陸軍を沸騰せしめたのは、じつにこの精神であった。・・・・」
p.41 『阿南惟幾伝』講談社 より引用
つづく 予定