蘇る記憶と想像と | ひだまり 日常生活

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日記を書くことで考えを整理したり、気づいたことを記しています

                

冷凍庫の隅に残っていたオレンジのシロップ煮を食べたとき、にわかに、賑わっていた夏の気分になりました。片付けようとしても捨てられない道具をみると鮮やかに初心が蘇ってくるのも同じような感覚で、木苺の香りは私に希望を呼び戻してくれます。

五感を問わず一瞬にして蘇る記憶。

「・・・服装というものは不思議なもので、第二国民兵の服装をしていると、どんな人でも、ねっからの第二国民兵に見えて来るもので、職業、年齢、知識、財産などのにおいは全然、消えてしまって、お医者も職工さんも重役も床屋さんも、みんな同年配の同資格の第二国民兵に見えて来るものである。・・(中略)・・私はその日は、完全に第二国民兵以外の何ものでもなかった。しかも頗る、操作拙劣の兵である。・・・」


太宰治の『鉄面皮』の一文ですが、この時代を知らないのに、たったこれだけで張り詰めた規律の空気が伝わってきます。一瞬にして火がともるような想像は、不思議と記憶が蘇る感覚と似ているように思います。

解題によると、『鉄面皮』は昭和十八年『文学界』に発表されて、戦後『薄明』に収録されましたが、その際、当時の戦時状況を示す文章に削除訂正を施されたということです。

「・・名前が私の名だ。「はあい。」のどに痰がからまっていたので、奇怪に
れた返辞であった。五百人はおろか、十人に聞こえたかどうか、・・」

当時の戦時状況を示すこれらの文章は作者の性格や心情、置かれている立場が表現されていて、これ抜きでは作品の印象が大きく損なわれます。今こうして、削除されたものではなく、発表時の作品が読めることは当然と考えがちですが、表現の自由に対しての認識が深まれば深まるほど、その重要性を感じるのだと思います。


※『鉄面皮』:『太宰治全集6』 筑摩書房 p.23/p.24より引用