そらを飛ぶ
鳥でなくとも
ほこらかに
大地の、鳥
であること
夢に向かって行動を起こすことが「飛ぶ」ことだとすれば。
長い人生の中では、飛べるときと、そうじゃないとき。
飛ばなくちゃいけないときと、飛んではいけないときがあ
るように思います。
仕事を辞めて、初めての育児に戸惑っていた頃。
私はよく、「飛ぶこと」について考えていました。
幸せなのに、飛べてない自分を感じたり。
もう飛べないような気がして、理由もなく焦ってみたり。
「飛ぶこと」だけが重要なことではなくて、そのときどきの
空の眺め方がある。そんなことに気づいたのは、かなり
時間がたってから。
自由な空に憧れる気持ちも、飛ぶ方法も、きっと人それ
ぞれだから─。
「空は飛ばない」とか「遠くまで飛ばない」という選択が
あってもかまわないのでしょう。
たとえばにわとりのように、飛ばない鳥たちに目を向けて
みると、二本の足でしっかりと大地を踏みしめていて。
そこには、地に足をつけて暮らすことのおおらかさのよう
なものを感じることができます。
自分の立ち位置を知ること。
飛べる高さから、飛べる距離を飛ぶこと。
それはあきらめではなく、「見極める」ということ。
ただ憧れるだけではなく、今の自分にできることを、でき
る範囲でやってみる。そうして、ほこらかに日々を過ごせ
たら、素敵だなと思います。
写真: Four Seasons より