私らしく
と おもう
おなじ深さで
君らしさ
を おもう
夫婦になったり、家族が増えたり、
大切に思う人が増えたり、日常が暮らしとして重なるにつれ、
自分の中の「あるがまま」という感情は、
少しずつ、ほんの少しずつ、薄められていきます。
それは、ちょうどな濃さのカルピスだったら、美味しいけれど、
薄めすぎてしまうと美味しくないし、なんだか物足りない。
という感じに、どこか似ていて。
「ほんとうは、もっと私らしくいたいのに」
「どうして、思いのままに生きられないのだろう?」
なぜか唐突に、そんなことを思ったりします。
でも、よく考えてみると、「私らしく」と思う心は、
そこに「誰か」の存在があってこそ、生まれてくるもの。
なるべくなら傷つけあわずに、寄り添って生きていきたい。
私を思うと同時に、隣にいる誰かを大切に思うから、
「私らしさ」への揺れや疑問を感じてしまうのかもしれません。
夫婦の中で、家族の中で、
大切な人と一緒に「私」を生きるのは、実はとても難しいこと。
お互いに、そのときどきで、自分の心に折り合いながら、
相手の思いをも汲み取る心がけが必要なのだと思います。
人はみな、そのカタチや表現方法は違っても、心のどこかに
もっともっとと、自分らしさを求める心を抱えています。
日常は、思い通りにならないことがたくさんあるけれど。
「私らしく」の、私を主張したくなったら・・・。
同じように、隣にいる誰かも「自分らしく」と思っていることを
忘れてはいけない、と。
そんなことを、思うのです。
写真: c*break から