パタパタと
しっぽがみえる
じゃれている
わらってる
君のうしろに
犬を一匹、飼っています。
トイレでうまくおしっこができたら、ご褒美は煮干を一つ。
そんなルールがあるので、トイレの後は、いつもきまって
しっぽを180度にふりながら煮干を催促にきます。
そして。煮干がぎっしりと詰まったビンのふたを開けると、
何故かいつも、大急ぎでやってくるのが末っ子。
人間なのに、両手を前足のようにくるりとまるめて。
やっぱり、煮干をひとつくわえて、走り去ってゆくのです。
嬉しそうな末っ子の後ろ姿には、いつも、ぱたぱた揺れる
しっぽが見えるような気がして。
なんだか可笑しくて、すこし幸せな気分になります。
子どもたちのしっぽが、はっきりとよく見えるのは、きっと
10年にも満たない、ほんのわずかな期間。
大きくなると、少しずつしっぽが短くなって、嬉しいことも、
淋しいことも、見た目にはハッキリとわからなくなって。
そうして、子どもは大人になってゆくのでしょう。
完全に大人になってしまった私たちは、もうしっぽはない
けれど。
でも、ときどきは、「嬉しい」の気持ちをぱたぱたと相手に
素直に伝えられる人でありたいな。
ふと、そんなことを思います。