ウィキッド映画版、観てきました。

 

 

2時間40分の長さを感じさせない、最初から最後まで没入させてくれる素晴らしい映像でした。

 

 

ネタバレを含みます。

 

 

 

自分の持つ気味の悪い制御できない力が、人の役に立てる、自分の成功に繋がるということを知ったエルファバの喜びに胸を打たれ、

グリンダによって垢抜けていき自分らしい魅力に気づいていくエルファバに胸を打たれ、

社会的抑圧の重みから抜け、自分の力を発揮し、飛ぶことを選ぶエルファバに胸を打たれました。

 

 

タイトルは、最後の曲『Defying Gravity』の一節です。

I′m through accepting limits

'Cause someone says they′re so

Some things I cannot change

But 'til I try, I′ll never know

Too long, I've been afraid of

Losing love, I guess I′ve lost

Well, if that's love

It comes at much too high a cost

(太字は引用者)

 

 

 

この『愛(love)』に、とても心当たりがあり、自分の事のように思えました。

 

エルファバの場合は、父親に愛されず、周囲に認められず、受け入れられず、自分を小さくすることを自分に強いてきた。

代償を伴うような愛ではない偽物の愛を求め、偽物の愛も手に入らず、本当の愛も手に入らず、ただ代償を支払ってきた。

 

歌詞で書かれているように、愛を失うことを恐れてきた(ので失わないために代償を払ってきた)が、そもそも最初から手に入ってないですね……。

 

 

こういうことって、現代社会でもよくあると思います。

 

 

手に入らない愛を探し求めることに一杯一杯で、自分を愛することもできず、人を愛することもできない。

自分を愛していないから、他者を愛するふりをすることに依存する。

愛の結晶と社会でされているようなものを作ることで、穴を埋めようとする。

 

自分のコミュニティで家族ごっこをしてみたり、傷の舐め合いをする集団に安住してしまったりと、代償行為としてグロテスクなことになってしまうことも。

 

 

そして、自分が愛されるわけないと確信していると、幸運に愛を無条件に一方的に注いでくれる存在と会ったとしても、なかなか受け入れられません。

 

社会としても未成年ならまだしも、成人になって自分を愛することを知らない人間をわざわざ構おうという場も少ないと思います。

 

 

でも、気功は違います。

自分で、愛を満たすことができるようになります。
(※正確には気功も気功技術も外部からもたらされるものなので、もちろん他者のおかげ、そのヒーリングの場のおかげです。)

 

自愛を知る人の臨場感を、自愛を知らない人間が受け取ることができます。

 

世界が一変します。

愛が満たされていて溢れるから、人にお裾分けできるようになります。

その際には全く気負いもなく、頑張りもありません。

 

 

ゴール設定がうまくいかない、

コーチングを受けてもうまくいかない、

自愛不足も原因の一つかもしれません。

 

 

もし少しでも心当たりがあったら、気功でサクッとクリアしましょう。

本来の自分に立ち戻るため、躓く石はどけちゃいましょう。

 

 

読んでいただき、ありがとうございます。

Hare