こんばんは、Hareです❄️✨
東京は昨日の雪があり、今朝もまだ雪が積もっていました。
コールドシャワーをするには持ってこいな寒さが続いています。
夏は水道水だとあまり冷たくなってくれないのに対し、冬はいいですね。
今日の本題は、友達と仲間の違いについてです。
公式ラインやインスタグラムでやりとりしていて、
年末年始だったので手放しの話題がよくあり、
自分は去年特に手放したものは何か?と自問した際に、
「友達」「友人」だなと思い至りました。
気功・ヒーリング、T理論に触れて馴染んでいくと生き方も、生きている世界観も変わっていきますし、
自分と相手の意識状態のいる階層性が合わなくなるので、仕方ないことだと思います。
(プリマヴェーラで伝授された『虚空』はこの意識状態を合わせる技術でしたね。)
『IQが上がって友達がいなくなる』というのはまといのばでも再三言及がありました。
(『アルジャーノンに花束を』、の例など)
上の階層にいる人の考え方が下の階層の人には奇妙に思えます。(IQが上に離れすぎていても相手が馬鹿に見える。)
上の階層から下を覗き込むのも大変です。
さておき、
次第に話題も合わなくあっていき、
お酒も飲まなくなり、喧騒を避けるようになり、
want toなことに没頭して約束を断ることが増え、
自ずと疎遠になっていきました。
ただ、寂しさはありますし、孤独を感じることもあり、
友人がいなくなることに対しての社会的洗脳のようなものがあり、チクリとトゲが刺さったままでした。
そんな時に、精神科医でヒーラーのY先生に相談していただいた言葉がしっくりきて救いになったので、共有します。
「場としてのLUBのゴールがないのが、友達・友人で、いてもいなくてもいい。」
というお話で、ふっと身体が緩み、楽になりました。
まといのばで、紹介されていた岡田斗司夫さんの言葉も脳内で鳴り響きました。
岡田斗司夫さんいわく「友達なんかいらない」と。
ワンピースを見ろ、あれは友達ではなく仲間だ、と。
同じゴールを共有する仲間がいれば、友達なぞいらない、と。名言です。
我々は仲間なのか、友達なのか別として、古代の英雄たちと知り合いましょう。
(まといのばブログより)
>同じゴールを共有する仲間がいれば、友達なぞいらない
友人という存在への執着心が低くなりました。
「友人がいないとダメ」という機能不全な価値観が、自分の中に無批判に入っていたことに気付きました。
まといのば共栄圏にいる人間が採用している、
漂白化社会における「いい人戦略」という点でも、
仲のいい人だけでつるむのは悪手な「嫌な人」でした。
以下、引用です。
「いいひと」戦略は二段階からなります。
第一にネガティブサイドが、「イヤな人になる努力をやめる」です。
その上で「いい人」戦略をシンプルに実行します。
イヤな人になる努力をやめる
A 欠点を探す
B 改善点を見つけて提案する
C 陰で言う
D 悪口で盛り上がる
E 悲観的・否定的になる
F 面白い人、頭の良い人、気の合う人だけで集まる
「いいひと戦略」
助走:フォローする
離陸:共感する
上昇:褒める
巡航:手伝う、助ける、応援する
再加速:教える
起動到達:マネー経済から抜け出す
これは暗記してしまいたい内容です。
(まといのばブログより)
F 面白い人、頭の良い人、気の合う人だけで集まる
友達は「イヤなひと」寄りと認識してます。
ただ、バランスホイールの人間関係のゴールでは、
友達として今の自分が実際に会うと線を引いてしまいそうな人たちを置いてはいます。
階層を移動していって、その時に合う人がいて友達になれたらラッキーなことですが、
またそれも移動して解消される可能性があるものなのだと、考えています。
翻って、Y先生には仲間についても、対比して教えてもらいました。
「LUBのゴールがあるのが仲間」
「仲間は嫌いであっても仲間。好き嫌いはただの情動の話」
「礼儀作法によって殺伐とさせず、コレクティブエフィカシーを発揮する」
例として、チャゲアスや、ダウンタウンは、
普段が不仲でもコンビとして一緒にやっていた、と。
(礼儀作法と無縁に生きてきてしまったので、知りたいです。挨拶と御礼、お祝いの言葉を言えること、ですかね?)
「仲間は嫌いであっても仲間」
戦略家ルトワックが耳元で囁いてきます。まといのばから引用します。
コミュニティとかハイパーラポールを考える上で、僕が肝に銘じているのはこのルトワックのお言葉です。
そして、もう一つ忘れてはならないのは、「同盟」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである、ということだ。(エドワード・ルトワック)
不快で苦難を伴うものなのです。
それがデフォルト。
もしもお互いに仲良くできていたり、生涯の友が見つかったり(「まといのば」メンバー同士で生涯の伴侶を見つけられた方もいます)、素晴らしい仲間に恵まれたりするとしても、それは僥倖であると思うことです。
それは文字通り有り難いことであり、なかなかありえないことなのです。
(まといのばブログより)
忘れてはならないのは、「同盟」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである、ということだ。
少し話が逸れますが、奥山真司さんの過去のメルマガで、ルトワックとの会話がありました。
いくつか情報交換をして面白かったのが、彼のプロとしての矜持の
彼は世界国家のトップたちに高額のコンサルタント料をとって戦略
つまりあえて嫌われる意見も言わなければならないということです
「仕方がない。相手の耳障りの良いことをいうだけだったら誰でも
ということでした。おそらく今回の訪日においても、日本の関係者
自分が世界国家のトップに対してヒーリングやメンタリングを行う時を想像し、
自分の利害や保身を考えて忖度したり、与える影響力の大きさに怯んでしまわないだろうか、と思いました。
また、『孤独』についても、言葉をもらいました。
「宇宙は寂しいからできた。そのくらいに絶対的な孤独は前提と考える」
「孤独はなくならないが、ゴールに生きるということは利他性があり、喜ぶ相手がいるので孤独も癒やされる」
「ゴールだって仲間と叶えるものであり孤独は勝手に癒やされる。」
絶対的な孤独は前提
というのは、T理論の「一人一宇宙」から演繹的に導かれることであり、
断言してもらうことでマインドセットが変わりました。
Y先生のブログでも、『一切皆苦の人生を渡っていくよすが』について書かれていました。
宗教や推し活において脳内物質によって引き起こされる感覚や情動といった内部表現は、個人の幸福感のみならず集団の凝集性や連帯感を作り出し過酷な環境下での生存確率を高める機能として進化の過程で形成されたとおぼしく、一切皆苦の人生を渡っていくよすがとなりうるというわけです。
(Dr.Yの雑談室より)
昨年情動に激しく振り回された後、ピエタの習熟・理解・身体化によって絶望を前提、根幹のものとして世界が一変したように、
(下書きのまま共有できていなかったんですが、してたんです)
孤独も、問題ではなく前提であることで、肩の荷が降りました。
前提であるものに対してどうにかしようとFocusするのではなく、
大事なことに目を向けていきたいです。
絶対的な孤独が前提であると認識しつつ、
孤独によって人生を破壊されないように。
最後に。
この場に参加して下さる方々は、
友人ではなく仲間です。
ゴールは各々違えど、なんとなくのLUBゴールはあるはずです。
生命時間を使ってこのブログを読んでもらっていることがその証です。
少なくとも、T理論と気功を使ってゴールに生きる人生を歩む、という抽象度まで上げたら、
ゴールを共有する仲間です。
繰り返しますが、共同体は家族であり、その意味ではもう切れない関係なのです。縁が生じた以上は最後まで走り切るしかない。
不快で苦痛を伴うものであっても、血を流し続けても、最後には生き残るために、最後に立っていて(The Last Man Standing)、最後に笑うもの(達)になるためにも同盟は大事。オハナ(家族)は大事。そこは好き同士の気の合う同士では、「いいひと」戦略に反するのです。Best & Brightestの轍(わだち)にハマるのです。
(まといのばブログより)
仲間は一期一会(死ぬまで)ということで、
お願いします。
読んで頂き、ありがとうございました。
Hare






