「皇紀元年」を「西暦」に当て嵌めると正しくは何年になるかは分かりませんが、「西暦元年」もその定義からすると今から何年前かは分かりません。

 「西暦」は宗教由来で、「皇紀」は記紀由来です。「西暦」を使う事は宗教的行為になるので、公務員が公的に使う事は憲法違反になります。当然、国民に使うよう指示する事は信教の自由を侵す事になります。

 

 


 憲法第20条
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 記紀は、「神話と史実」が書かれていますが「天皇」が日本の象徴(元首)で在る限り、憲法上は宗教とは関係ない「正式な歴史書」になるので、公務員は「皇紀」を使用する義務が生じます。「和暦」でも良いのですが、通年計算が難しくなるので「皇紀」の方が使いやすいと思います。

 「今年は皇紀2682年」だと言うと「史実とは違う」と否定する人もいますが、「西暦元年1月1日」の定義は「イエスキリストが割礼を受けた日」とされていて、実際には数年の誤差が有ると言われています。「西暦」も「皇紀」と同様にその元年は作り話と云う事になりますが「今年は西暦2022年です」と言っても、それを史実と違うと否定する人はいません。

 つまり「史実」とは、有ったとされる歴史であり事実である必要は無いと云う事になります。当然ながら、記紀の前半が「神話」だとしても、少なくとも神武天皇以降は、在ったとされる歴史が書かれているので「史実」と言えます。

 ところで、「神話」と云う語は明治になってから生まれた熟語で、「記紀」が編纂された時代には無かった事から、「記紀」には当時の言い伝えが「事実」として記録されたと思われます。

 「記紀」の原文を私は見た事が無いのですが、今で言う「神話時代」の記述に「神(神)」が多用されています。この「神」を「申(サル)を示す」と解釈するか「申(モウ)し示す」と解釈するかで「史実」が大きく変わります。

 漢字の「神(神)」の成り立ちは「示(祭壇)+電(いなづま)」だそうです。「稲妻(いなづま)」によって「稲」が良く育つと考えた日本(やまと)人が「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」を「記紀」に書いた事から「神は自然現象の擬人化」とも解釈できます。

 つまり、日本での「神」は「God:一神教の神」や「gods:多神教の神々」ではなく、「自然現象」を意味する科学用語と言えます。当時は「科学」と云う熟語が無かったので「神」を当てたと理解できます。その「記紀」を今の科学で解釈するには無理があり、例えば現代人が「神は存在しない」と解釈した場合は「自然は存在しない」となり、定義の違いにより齟齬が生じます。

「葦原中国(なかつくに)平定」あたり迄は「神の御業(自然現象)」なので善悪の対象外となり、神武天皇からは現在で言う「歴史」の始まりと解釈できます。そうする事で「中華思想」の天子(皇帝)に対抗し、ワンワールドへの溶解を防ぐ事ができました。

 「記紀」は、矛盾を含めて、実に良く出来た「史書」だと思います。