それにしても親がなくなるということは、

実際その身になってみないとわからないものですね。

想像していたのとは全然ちがいました。

かなしい、でも

さびしい、でもない。

ちょっと説明のつかない心理状況です。

私の場合でいえば、

私は父の100もらってるんじゃないか?というくらい

父の遺伝子が濃いので

(母に似ているところ皆無)

父の気持ちが乗り移ってるんじゃないかというくらい、

悔しいというか、不当な思いというか、

マイナスな感情がずっとありました。

父はきっと主治医の言葉を信じて、

人生最大の賭けに打って出たんでしょうね。

この際悪いところを全部とって

もう少しひ孫の成長を見届けたかったんだとおもいます。

長女のお産扱いで泊ってたときもいちど危篤になったので、

夜中じゅういつ連絡くるかとスマホを眺めながら

眠れない夜を過ごしたこともありました。

そのときは長女、お産直後だったから

ストレスの影響考えて一切長女には事情話さなかった。

さいごのほうにはおっぱいも順調に軌道にのったので、

危ないということを説明して、

生まれたばかりのSちゃんを病室の父と対面させることができました。

これはとても良かった。

まだ意識のあるうちだったから父も嬉しそうにしていました。

そんなお産扱いと見舞いで札幌への行き来をくりかえしてたとき、

長女のリビングの壁に貼ってあったお守りが落ちました。

実家のリビングにかけてあった額縁が落ちました。

その後ウチの寝室にかけてある時計が落ちました。

落ちた原因は不明です。

10月の末には、夜中にマークの目覚まし時計がなりました。

3時台なんてだれもセットしてないのに、です。

亡くなった日の朝方、私は夢をみてました。

そしたらまるで「ドラマをみていたのにニュース速報に切り替わった」ように、

突然父があらわれました。

すこし若いときの父で声も若々しくて、

なにをしゃべってるのか内容はよくわからないんだけど、

にこにこしながら嬉しそうになにかを私に語りかけてました。

父の夢なんかこれまでいちども見たことがないので、不思議なきもちがしました。

あとから聞いた話ですが、

父の亡くなった時間、運転中だった父の教え子さんのカーナビが

ぶつっと電源切れて真っ暗になったそうです。

この人は父がとてもかわいがっていた教え子さんだったそうです。

なにをしてもなおらなかったのに、

父の葬儀に行こうとエンジンをかけたらそれまで全くつかなかった

カーナビが何事もなかったように使えたそうです。

これらの出来事、説明がつかないので「不思議」という

タイトルにしましたが、父の意思がどっかで働いてるような気はします。

 

父のお古ですが、

いま支援しているかた年齢も背格好、体格も似通っているので、

使っていただこうとおもってお渡ししました。

ものすごく喜んでくださったので、

父ももちろん喜んでるとおもいます。

 

 

 

その日にちょうど届いたからと、

佐渡の親戚のかた(柿農家さん)から段ボールいっぱい

送られてきたおけさ柿を少しいただいてしまいました。

父は柿が大好きだったそうなので

(私は知らなかった)

仏前にあげました。

父のこと少しか知ってるつもりだったけど、
私が把握している部分はほんのわずかだったみたいです。
この3か月、葬儀、そのあいだに
私のまったく知らない父の姿をあちこちから知らされました。
 
もっと話しておくべきだったな・・・