三国志って前から何とな気になっていたのですが、
あまりの長編で、どこから手をつけたらと思っていたところ、テレビで宣伝を見たのと、
外出したついでにフラッと映画館へ。
上海へ行ったばかりで・・・
なぜか中国の空気を15年ぶりに吸ってみると、
小娘の頃に、ボランティアで残留孤児のおじさん、おばさんを生徒に、
毎週日曜日鶴橋の『愚公時習社」で
初級班を担当。大学で学んだ中国語がさびないようにという下心があったのですが、
学校では教わらなかった日中の悲しい現実の狭間で、幼い時に親と別れ
中国の大地で育った日本人、戦争さえなければ、こんな小娘から母国語である
『日本語』を学ぶ必要もなったのに・・・・・。
孤児たちの中国での体験や、実父母との出会いや養父母との別れ、
夢にまで見た母国での様々な現実・・・・・
でも前向きで、日本語を学ぶ場所があるならと、こんな小娘先生の日本語教室に通ってくれたのです。
「原田先生!」と呼ばれ、私の大連の養母ですと見せられたセピア色した写真の中には
チーパオ姿の美人が、『この人は本当に中国人に育てられたんだ・・・』
敵の子である日本鬼子の子供を育てる中国人の懐の大きさ・・・・
ましてや戦争の混乱期、養母が病死し、その人は新疆ウイグル自治区へ流れ着き、
そこでも養父母に恵まれ大学まで出してもらって小学校の先生をしていたそうです。
また子供を中国へ置いていくしかすべの無かった中国開拓団の方々の手記も拝見しました。
ロシア軍が迫ってくる中での逃亡は死と隣りあわせで、道々に日本人の死体の山があり、
その愚公時習社を運営していたのも、生き残って日本に帰りついた方々でした。
自分にできること。安易な思いを引き受けた一年は、大地の子の物語さながらで、
その後、仕事で広州交易会などに行く機会があったのですが、
私の心のどこかに、敵の子を育ててくれた中国の養父母の自愛に
私になりに日中友好の橋渡しができればと・・・
思えば、私は若くて、純粋で、直向でした・・・・・
今は・・・ ただのおばちゃんですが・・・・・