祖父の葬儀が終わりました。



やっと祖父に会えたのは、
病院から葬儀場へ運ばれてきた後でした。




こんな形で会えなくなるなんて。

本当につらい。
本当にくやしい。

コロナなんて流行っていなければ
最期の瞬間まで立ち会えたかもしれないのに。





主人は仕事が忙しい時期でしたが、
無理を言って休んでもらい、
家で子ども達を見てくれました。


おかげで、ゆっくりと祖父とお別れが出来ました。



生前の祖父はそれはそれは活発で
現役を退いた後も、色々な活動に貢献し、
沢山の人脈がありました。


お世話になった人たちにも、きちんとお別れして頂く機会を設けるべきだろうと、
ささやかな式を執り行う事になりました。



お通夜もお葬式も本当にたくさんの方々が駆けつけてくださり、
会場に入りきらないほどでした。



本当に祖父はたくさんの人から信頼され
惜しまれて、その生涯を終えました。





祖母を先に亡くし、祖父は自立した生活を送っていました。


それまでずっと祖母に任せきりだった家事をこなし、洗濯も炊事もお手のものでした。


祖父の家は
病院へ運ばれたその日のまま
祖父の生活のあとが残されていました。

流し台の上には、きちんと洗われた1人分のお茶碗とお湯呑

布団は祖父が出たままの形でした。



社会活動にも貢献していた祖父
部屋の壁は、たくさんの感謝状や賞状で埋め尽くされていました。
それから、家族の写真もたくさんありました。




本当に本当に
自慢の祖父でした。

大好きな祖父でした。


以前書いたように、
私は自分の家族が苦手です。
親族が集まれば嫌味や陰口が飛び交っていました。
祖父だけは他の家族とは違い、みんなに優しく
人を嫌な気持ちにさせることは1つも言いませんでした。
家族の中で唯一、祖父だけが大好きでした。




祖父は高齢者という事で
いち早くワクチンを接種していました。


私にも会うたび、
早く打っとけよー 
子どもたちにうつったら大変ぞーと言っていました。


数ヶ月前、まだ元気な祖父と最後に会った日
ワクチンの副反応に効くらしいという市販薬をくれました。

奇しくもそれが、
祖父からもらった最後のものでした。


その時の私は
いや、私はまだ打たないよー と思っていました。




でも、もし、
その時、打っていたら。



早くワクチンを打てと言う
祖父の言葉をきちんと聞いていたら。



ワクチンを打つ勇気が私にあったら。



もう一度だけ祖父に会えたのに



最期に祖父に
感謝の気持ちを伝えることができたのに。



葬儀の間も
葬儀が終わり、祖父を見送った今でも
そう思わずにはいられません。





コロナで亡くなった方は
亡くなった後も会うことは出来ないと聞きます。


それに比べれば
最期に顔を見てきちんとお別れが言えた私たちは
いくらか救われたのかもしれません。


しかし
本来、コロナさえ無ければ…。


本当にコロナのせいで
たくさんの不本意な別れがあったと思います。


はやく
コロナの脅威に怯える日々が収束しますように。