尾崎豊展「OZAKI 30 LAST STAGE」。 | 原元美紀 オフィシャルブログ 「原元美紀のミキペディア」 Powered by Ameba

尾崎豊展「OZAKI 30 LAST STAGE」。

松屋銀座で開催中の尾崎豊展。

 

銀座駅の地下構内にはもうこんなお出迎え!!

 

 

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自撮りしていたら、向こうからやってきた同い年くらいの女性が

「撮りましょうか?

「代わりに私も撮ってください」

 

とのこと。

 

ファン同士、ピンとくるんですよね〜。

 

ということで撮っていただきました。

 

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尾崎豊が使っていたギター、ピアノ、

直筆の楽譜、衣装、写真。

写真、映像。

 

あの時代の空気をそのまま集めたような空間だった。

 

映像から流れる歌声には、つい立ち止まって聞き惚れる。

「この人を超える人は現れないね」

何人もの人がそうつぶやく。

 

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25歳で突然この世を去ってから30年か。

 

尾崎豊は紛れもなく私の青春だった。

 

1985年、高校1年生の時に

たまたま先輩からチケット買わされたコンサートが尾崎豊。

 

活動休止直前の尾崎豊10代最後のライブ

「ラスト・ティーンエイジ・アピアランス」、

会場は代々木第一体育館だ。

 

顔も名前も知らないアーティストでいつもなら断るのだけれど、

隣で友達が

「えー!尾崎!すごい!行きたい!

でも一人じゃ行けないから原元さんお願い一緒に行って〜」

と泣きつくので、

高校生の私としてはひと月分のお小遣い5,000円をはたいて

仕方なくチケット買った。

 

席は3階下手側。

 

憂鬱な気分で開演を待っていた。

 

会場の暴発しそうなくらいの熱気と緊張感を切り裂いて

いきなりピアノ弾き語りが始まった

曲は「卒業」だった。

 

♪  卒業していったい何解ると言うのか

 思い出の他に何が残ると言うのか

 人は誰も縛られたかよわき子羊ならば

 先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか

 

 あと何度自分自身 卒業すれば

 本当の自分に たどりつけるだろう

 

 この支配からの卒業

(卒業)

 

 

私の歌だ!

 

強烈なショックでした。

 

中学時代を刑務所のように体罰ばかりの学校で育った私にとって、

学校とは?
教育とは?
という疑問が卒業後も付き纏い、

廃人のような高校生活を送っていたから。

 

奇しくもこの曲はそんな私の卒業した年に発表された。

 

こんなにも心に突き刺さる歌詞と

全身を振り絞る歌声にただただ魂を揺さぶられた。

 

 

「十七歳の地図」では、2番にこんな歌詞がある

 

♪  親の背中にひたむきさを感じて

 このごろふと涙こぼした

 半分大人のセブンティーンズ・マップ

 

この歌詞を聞いた瞬間に私の反抗期は終わった。

それほどの威力があった。

 

なお、今回自筆の歌詞が展示されていた。

それによると

「このごろふと」は

「そんなさみしさはじめてのことさ」と下書きがあった。

 

尾崎が直接書かなかった感情は「さみしさ」だったのだ。

 

 

残念ながら尾崎はこのライブツアーを最後に

活動休止し、渡米。

 

毎日毎日聴いていた。

当時のCDがこちら。尾崎豊十代三部作。

 

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SONYがCDを発売してすぐ、
まだ一般に普及していない1986年頃に購入したのだけれど、
ケースの形が今と全然違う。

 

中を開けると、こんな感じ。

年季の入ったファンの証だ。


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渡米したと思っていた尾崎は

日本に帰ってきて覚醒剤取締法違反で逮捕。

彼を案じた実の父親の通報だったそうだ。
 

その頃私は高校を卒業、

バブル真っ盛りに大学生になった。

ディスコに行って沖縄に旅行に行って、スキーに明け暮れて

絵に描いたような大学生の遊びに夢中になった。

 

同時に尾崎を聞かなくなってしまった。

 

街や海、スキー場、車の中で流れているのは

サザンとユーミンだったから。

 

私は「半分大人」を卒業し、

「大人」になっちまったのを実感した。

もう尾崎の歌声は届かなかった。

 

 

そして1992年、就職で名古屋の放送局のアナウンサーになった。

 

ひょっとして尾崎に取材やインタビューで会えるかもしれない

なんて淡い期待をしていた。

 

そこに飛び込んできたのが尾崎の訃報だった。

 

1992年4月25日、26歳で尾崎は伝説になった。

 

「あれ、私はこの4年間、なぜ尾崎を忘れてしまったんだろう」

 

尾崎のCDを引っ張り出し、

真新しい家具が並ぶ一人暮らしの部屋で大音量で流した。

 

久しぶりに聴いた声はやはりあの頃と同じ熱量だ。

 

同じ迫力で

「お前はいま何と闘ってるんだ?」

と問いかけてくる。

 

私は、私は・・・、

私は闘っているというより、ぶつかっていた。

上司や規則や常識に。

 

でも諦めなかった。

知らない土地で一人寂しさに耐えながら

夢を掴もうと足掻いていたんだ。

 

♪  人並みの中をかき分け 壁づたいに歩けば

 しがらみの世の中だから 強く生きなきゃと思うんだ

 ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いている

 歩道橋の上振り返り 焼け付くような夕陽が

 今心の地図の上で 起こるすべての出来事を照らすよ

 Seventeen's map

 

(十七歳の地図)

 

(渋谷にあった旧・東邦生命ビルの尾崎豊の碑)

 

不器用すぎる私はやはりまだ「大人」じゃなかった。

 

 

 

尾崎が亡くなった場所は彼の自宅からほど近い

民家の庭だった。

 

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縁もゆかりもない住人だったけれど、

全国から若者が訪ねてくるので、

部屋を開放して

「尾崎ハウス」として若者を受け入れてくれた。

 

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今も自分を追い込んで限界になると歌うのはこの歌。

 

♪  俺が這いつくばるのを待ってる 全ての勝敗のために

 星は優しく 風に吹かれて 俺は少しだけ笑った

 街の灯りの下では 誰もが目を閉じ闇さまよってる

 あくせく流す汗と音楽だけは止むことがなかった

 

(路上のルール)

 

30年同じ歌で励まされてる。

やはり「半分大人」のまんまだ。

 

それでも立ち続けていられるのは、

尾崎の歌には「ゆるし」が感じられるから。

 

♪  僕が僕であるために

 勝ち続けなきゃならない

 正しいものはなんなのか

 それがこの胸に解るまで

 僕は少し街にのまれて 少し心許しながら

 この冷たい街の風に歌い続けてる

 

(僕が僕であるために)