あさま山荘事件50年 オンライン特別トーク企画「あさま山荘の中と外」! | 原元美紀 オフィシャルブログ 「原元美紀のミキペディア」 Powered by Ameba

あさま山荘事件50年 オンライン特別トーク企画「あさま山荘の中と外」!

2/26のオンラインイベント

【あさま山荘事件50年特別企画】
『あの時、山荘の中で何が?

久能靖が連合赤軍に問う 〜あさま山荘の「中と外」』

 

おかげさまで無事に終了・・・、

 

しませんでしたっ!!

 

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50年前、あさま山荘事件を現場で実況し続けた

元日本テレビアナウンサーでジャーナリストの久能靖さんと

 

元連合赤軍メンバーであさま山荘立てこもり犯の

加藤倫教さんを迎えてのトークショーでしたが、

 

思わぬハプニングだらけでした。

 

対談部分は事前収録だったため、当日は私1人の生出演。

 

OPで挨拶など喋っていたら・・・、

ズーム画面がモヤモヤ〜っと。

 

(は?

本番中に誰??

今日オンラインレッスンだったけ?)

 

なんと!

加藤倫教さん!?

 

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いやいやいや、加藤さんは久能さんと一緒で

今日はいないはず。

 

そもそもオンラインはほぼ初めてとのことで

私のiPadをお渡ししてイチから操作をお伝えしたのですが、

zoomの入り方覚えちゃったのですね。

 

20時に生配信とお伝えしたつもりが、

間違えて生出演というサプライズ!

 

でもそのおかげで急遽「加藤さんに質問コーナー」も

出来たので何よりでした。

 

 

そして、15分ほど2人でOPトークをしていたところ、

今度は配信トラブルで

一部視聴できていない人がいるというので

OPを最初からやり直すことに!

 

ええええええ!?

ハズッ!

 

ということで、

加藤さんと一緒に2度目のOPトークをやりました。

 

段取りめちゃくちゃですわ。

 

お恥ずかしい限りですが、

このドタバタ感がオンラインならではの面白さですね。

 

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かくして2時間40分の濃密な本番となりました。

 

第1部:

久能靖さんと私であさま山荘の「外側」トーク

久能さんが取材で入手した秘蔵写真で伝える最前線。


Q.日本中に衝撃を与えた鉄球作戦。予期せぬトラブルの真相とは!?
Q.鉄球取材旅行VTR「破壊に使われた鉄球は3つある!」
Q.マスコミとの接触を絶った人質にされた女性が久能靖だけに語った秘話とは?
など

 

久能靖氏のあさま山荘事件資料

 

あさま山荘突入で使用された本物の鉄球とレプリカ

 

第2部:「中の人」は何を見たか
元連合赤軍メンバー加藤倫教と久能靖の対談による

事件の「中と外」

Q.なぜ籠城は始まったのか
Q.10日間の生活と、人質の様子、最後はどうなると思っていたのか?
Q.突入の日。鉄球の衝撃や催涙ガス、逮捕、連行?
Q.取り調べでどうやって自供したの?
Q.12名もの同志リンチ殺人事件は止められなかったの?
Q.犠牲となった実兄のこと
Q.世間で誤解されていることは?
Q.あさま山荘事件関連の映画をどう観た?
Q.この事件はオウム真理教事件とどこが違うの?
など

 

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そして、急遽実現した

第3部:「今の人」からの質問コーナー

 

当日視聴してくださっているのは

私を含め、ほとんどがあさま山荘事件をリアルタイムで知らない

若い人=「今の人」。

 

本番中に寄せられた皆さんからの質問や疑問を

加藤さんにぶつけるというまさかのコーナーの実現となりました。

 

Q.なぜメディアで語るのか?

Q.現在の肩書きが「自民党員」って?反体制だったんじゃないの?

Q.「若い人へのメッセージ」という質問が嫌いな理由は?

Q.今、リンチ殺人で亡くなった仲間にどう思うか?

Q.仲間に対し、謝罪の言葉を発したことは?

Q.犠牲者のお墓参りをしたことは?

Q.「間違い」だと気づいたのはいつ?

Q.「集団」は必ず連合赤軍のような末路を辿るのか?

 

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また、なぜ機動隊が突入する瞬間の山荘内部の写真があるのか!?

という質問もありました。

 

それ、ほんとびっくりです。

だって、ガス弾や放水でろくに周りも見えず

さらに銃弾が飛び交っている中ですから!

 

捜査関係者によると、

後の裁判や事件捜査に備えて、

どんな時も写真班が現場の記録を残すのだそうです。

 

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***

 

〜イベントを終えて〜

 

私がこのイベントを開催しなければと思ったのは、

日本犯罪史上最悪、最も有名な事件の一つで、

今も若者の政治離れに繋がっているほど影響力の大きい出来事を

「よく知らない」怖さからでした。

 

山荘やアジトという密室で一体何が起きていたのか?

 

よく知らないけれど、

大人たちから「集団は怖い」と刷り込まれ育ちました。

言ってる大人たちもよくわかっていませんでした。

 

この数年、世界では民衆の手で常識がどんどん塗り替えられ、

急激に動いている。

それなのに日本だけが世界のの動きに参加せず

取り残されている感があるのを歯痒く思っていました。

 

「若者の政治離れ」

その原因とされている事件をよく知らないまま」

これまで通り取り残されて生活を続けるのかと思った時、

今ならまだ事件の真相を語れる人がいる!と考えました。

 

50年という節目を迎えた今こそ、

あの事件を「知る」最後のチャンスが来たと。

 

 

果たして、

今回のイベントで何度もお話しさせていただいた加藤さんは

私には「普通の人」に見えました。

 

常識的で、

特別過激な思想を持っているような人には感じられなかったのです。

 

そもそもなぜ過激派の活動に参加するようになったのか?

 

発端は今からおよそ50年前、

高校生の時に地元・名古屋で偶然見かけた

沖縄返還やベトナム戦争反対などのデモ行進だったそうです。

 

当時の他にも日本は日米安保条約、沖縄返還など

さまざまな問題を抱えていて、

デモ活動は珍しいことではありませんでした。

 

特にベトナムでは軍隊だけではなく民間人も多大な被害を受け、

世界中の若者たちが

戦争反対を訴える活動を起こし立ち上がりました。

 

そのアメリカ軍の戦闘機や爆撃機が日本から飛び立っていたのです。

 

とにかく一刻も早く止めさせないと世界大戦になるのではないか、

と考えた加藤さんは、デモや集会に参加するようになりましたが、

それでは戦争は止められず、

アメリカ軍に協力している今の日本政府を倒さねばならないと決意。

 

デモや論争では無力だと、

武力を持って実力行使に出ようとしたのが

過激な武力闘争に進む経緯だったそうです。

 

今のロシアのウクライナ侵攻に例えると想像しやすいかもしれません。

 

もし、ウクライナの人々を攻撃するロシアの爆撃機が

日本から飛び立っていたら・・・?

 

なんとしてでも止めさせようと立ち上がる人はいるでしょう。

 

そんな風に照らし合わせてみると、

特別なことではなく「普通の気持ち」に思えます。

実際、当時多くの若者や大人たちが賛同していたようですから。

 

ただ、平和を求めた始まったはずの行為が

いつしか暴力的になったり、仲間割れの果てに殺害するのは

やはり異常な事態です。

 

加藤さんのお話から、

そこに集団心理や、リーダーの資質、権力争いなど、

さまざまな出来事が重なって

最悪の事件へと転がり落ちてしまったことがわかりました。

 

あさま山荘事件後、

リンチ殺人が発覚し、国民の彼らに向ける賛同は

恐怖へと変わります。

 

それは政治に物申すことに対する無関心にも繋がりました。

 

「政治に物申そうと集団になったら、成れの果ては連合赤軍だ

ろくなことがない」

 

それから50年間、日本では若者の政治離れが続いています。

 

加藤さんは、

「自分たちの事件がきっかけで政治離れが広がった。

政治に間違ったことを間違っていると言ったり、

疑問を持つこと自体が間違っているという世の中を

作ってしまったのは私たちだ」

 

と痛感しているそうです。

 

そして、

「自分のようなものが若い人へ言える立場ではないが、

『前提』を疑って欲しい。

時折、自分が間違っていないか見つめ直すことをして欲しい」

という言葉を残しました。

 

 

50年間、私たちは、集団であれ個人であれ

「思考停止」していなかったでしょうか。

 

そう重く問いかけられたイベントとなりました.。

 

視聴してくださった皆さんにも

その問いかけが届いたことを願っています。

 

※視聴期間は終了しましたが、

反響が大きいため、後日アーカイブ視聴用に再編集いたします。

またお知らせいたします。