「ミュシャ展」、理性と愛の間には…
「ミュシャ展」で打ちのめされまして、
しばらく余韻に浸っています。
有名美術館の所蔵品を揃えた展示は
バリエーションがあって、
食わず嫌いだった作品との出会いがあるから
面白いのですが、
やはり一人の画家の変遷を
作品を通して感じることができる「個展」は
見応えありますね。
なかでも今回の「ミュシャ展」は、
画家自身の作風の変化が凄まじく、
生き様を追体験している気分でした。
アルフォンス・ミュシャは、
100年ほど前にパリで華やかな女性のポスターを手がけ、
アールヌーボーを代表する作家として名を挙げました。
流麗で上品、
芸術の女神のような美女がポーズをとる作品は
とてもロマンチック。
しかし、50歳で故郷チェコへ戻ると、作風は一転。
16年の歳月をかけて
自らのルーツであるスラブ民族の歴史を描きます。
この「スラブ叙事詩」と名付けられた作品は、
6×8mのカンバスが20点の超大作です。
世界で初めてチェコ国外で連作が公開されるとあって注目度が高く、
入場待ち60分!
久しぶりにこんなに並びました。
ようやく入場すると、待ち受けていたのは、
視界に入りきらないほどの作品群!
(一部撮影OK)
すると、いきなり作品の人物がこちらを見つめているのことに気づき、
ドキッとしました。
それは、「スラブ叙事詩」一作目の
【原故郷のスラブ民族】という作品でした。
村を略奪者に襲われ、
夜の闇に紛れ逃げ延びた2人のスラブ人の怯えた目でした。
目は見開かれ、頰はこけ、
夜空には戦さの終わりを神に請い願う祭司の姿が浮かび、
幻想的な神話のようです。
ここに描かれているのは、
紀元前3世紀から6世紀の間の歴史。
当時中央ヨーロッパに住むスラブ人は
農耕民族で温和な性格でしたが、
ゲルマン人やフン族らに襲撃され、
敗北、迫害という苦難の道を歩まされます。
この後も他民族に抑圧され、
奪われ殺されるという胸が締め付けられるような場面が続きます。
国民的英雄が現れるが殉教、
同じキリスト教同士の戦争、絶望。
登場する人々はみな険しい表情です。
そして、19世紀末から20世紀初頭、
数千年もの長い歴史の果てに、
やがてスラブ民族に解放、自由の時が訪れます。
最後の作品は、【スラブ民族の賛歌】。
中央の青年は、自由と調和を象徴した金色の花輪を手にしています。
でも、祝福の場面ですら、
満面の笑みを湛えたり歯を見せて笑う者はいません。
大きく両手を広げ天を仰ぐことが
精一杯の喜びの表現でした。
以前ハンガリーを旅行した時、
「日本の観光客は眉間を見ればすぐ分かる」
と言われました。
「共産圏ではみな眉間に皺が寄る。
生活が苦しいし、常に油断しないからね」
と言われたことを思い出しました。
ミュシャがこの作品を完成させる間の1939年、
チェコスロバキア共和国にナチスドイツが侵攻してきました。
ゲシュタポに拘束され厳しい尋問を受けたミュシャは
肺炎を悪化させまもなく死去。
祖国の解放を知らずに人生の幕を降ろしたのです。
古代から近代までスラブ民族の栄光と苦難の運命、戦争の歴史を辿り、
人類の歴史絵巻を見た思いでただただ呆然としてしまいました。
そして、この作品自身、苦難の道を歩みます。
チェコのプラハ市に寄贈されたけれど、
1960年代以降はほとんど人目に触れることはなく、
ようやく2015年5月に全作品が公開されるに至ったそうです。
スラブ民族の歴史と作品のスケールの大きさに圧倒され、
ミュシャからメッセージを受け継いだという思いが胸に迫ります。
それはもちろん私だけではないようで、
皆なにかとんでもないものを目撃したという思いに駆られたのでしょう。
図録や絵葉書を買い求める客で
売店はレジの行列が30分!
私が一番心に残ったのは、こんなメッセージでした。
【ハーモニー】という「スラブ叙事詩」を手がける直前に描かれた作品で、
ミュシャの思想がこのように解説されていました。
『〈理性〉と〈愛〉の間で〈調和(ハーモニー)〉をもたらすのは〈英知〉である』
愛を叫ぶだけでも、理性を保つだけでも足りないことは
スラブ民族の歴史が教えてくれています。
智慧が必要なのです。
平和とは、欲して考えた果てに
手にすることができるのでしょう。
「ミュシャ展」は、国立新美術で6/5(月)までです。