JCJ日本ジャーナリスト会議〜戦後70年に思う | 原元美紀 オフィシャルブログ 「原元美紀のミキペディア」 Powered by Ameba

JCJ日本ジャーナリスト会議〜戦後70年に思う

戦後70年の終戦記念日は、
日本ジャーナリスト会議(J CJ )のイベントで
司会を務めさせていただきました。

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JCJは、新聞、通信、放送、出版、広告など
マスメディアの仕事に従事する人を中心とした約700人の団体で、
1955年に発足、今年で60周年を迎えます。

そして毎年8月15日、その年の優れた言論・報道活動に
JCJ賞を顕彰しています。

つまり、ジャーナリストらが
優れたジャーナリズム活動を選ぶ賞です。

2015年度のJCJ賞受賞作品は、6作品。

*樫田秀樹さん「“悪夢の超特急”リニア中央新幹線」

*眞並恭介さん「牛と土ー福島、3.11その後」

*北海道新聞 佐竹直子記者
「獄中メモは問う 北海道綴方教育連盟」


大賞は、琉球新報の
「『普天間・辺野古問題』を中心に
この国の民主主義を問う一連の報道キャンペーン」でした。

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受賞式で行われる受賞者のスピーチでは、
取材での苦労話などが聞け、
毎年の名物になっているそうです。

受賞者の皆さんのスピーチはこちらで見られます。

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特に北海道新聞の佐竹直子記者は、
ほんとにパワフルで引き込まれました。

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佐竹記者の取材のきっかけは、
2013年のある日偶然目にしたボロボロのメモ、
記者のカンが「これはただ事ではない!」
と告げたことだそうです。

触れたら朽ち果てんばかりの風化寸前の紙に
旧字体でビッシリ書かれた小さな文字。

目を凝らすと読めたのは
「警察。叩く。ける。座らせる。おどかす。」

これは埋もれさせてはならない。

でも、「記者のカンなんて不確かなものに付き合えるか」
と誰も手を貸してくれません。

それでも読まなければならぬと、
自力で三ヶ月かけて解読したところ、
戦時中、特高に逮捕され拷問を受けた
ある男性が書いた獄中メモだったのです!


太平洋戦争突入前、
北海道では貧困にあえぐ生徒に生きがいを持たせようと
ありのままの生活を綴り方(作文)に書かせる
『綴り方』という活動が盛んに行われていました。

子供達は、「家族で支え合って暮らす様子を作文にすると、
現実と向き合う勇気が出た」
と張り合いを感じ、心の成長に役立ったようでした。

しかし、その教育が
「資本主義の矛盾を自覚させ、階級意識の醸成」
にあたるとして、
治安維持法により、55人の教員が投獄されたのです。

メモは釧路刑務所で書かれたもので、
書いた人はもうこの世にはいません。

佐竹記者は約70年ぶりに見つかった
このメモを手がかりに関係者を訪ね歩き、
事件の背景や巻き込まれた人たちの姿を追いかけ、
地元釧路で新聞に連載をしました。

果たして、
作文教育は『罪』と呼ぶべきものだったのでしょうか?

そう問いかけ、一通りの連載が終わろうとした時に、
読者から「まだ止めるな!」との声が上がり、
この事件の真相解明へ繋がる情報がどんどん集まり、
その動きは全国へと広がったそうです。

佐竹記者の熱意と誠実さが
いつしか周りの人を巻き込んでしまう様子が
目に浮かびました。

このお話を聞いて、熱気に当てられ
この日は興奮して寝つけませんでした。

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ところで、「JCJに入りませんか?」
とそのままお誘いいただいたので、
その場で
「はい、入ります」と言ってしまいました。

この即答って、私にしてはとても珍しいことなんです。

性格や仕事柄、慎重に考えて答えを出す習慣が付いていて、
今までだったらきっと
「ゆっくり考えてみて良いですか?」
なんてお返事していました。

でも、即答したのは事情があります。

まず、最近、自分を変えようと思っていること。
警戒心のカタマリだったけど、
もう少し『成り行き』を楽しんでみようかと。

また、JCJ賞は私の師である清水 潔さんが
2001年に桶川ストーカー事件の真相を暴いた
ノンフィクション「遺言」で大賞を受賞されたこと。


そして、なにより、私自身
「自分は何者なんだろう」と思い悩んできたことです。

私の周りには本当に素晴らしいジャーナリストの方たちが
たくさんいます。

コツコツと取材を重ね調査報道をされてこられた先達、
それに引き換え、
現場リポーターの私はその時の最新情報を追うのが仕事。

「いつも違う現場」を踏んでばかりで、
一つの取材を最後までじっくりとやり遂げたという実感が
なかなか持てません。

そのことが長い間のコンプレックスでした。

私自身はジャーナリストではありません。

でも、素晴らしい活動や作品を広めるお手伝いができるのなら、
それが自分の役目かと思え、入会してみようと思ったのです。

まあ、報道についてああだこうだ皆さんと語り合うのが楽しいし!


それから、今年は戦後70年ということで、
例年以上に戦争報道に触れることが多く、
改めて感じることがありました。

それは、言葉の重要さです。

世間では「ネトウヨ」という言葉が生まれてから、
ここ数年「右翼」「左翼」だというキーワードが
以前よりたくさん使われるようになってきたのを感じます。

まず、特に聞かれたこともありませんが、
私自身はそのどちらでもないということを
宣言したいです。

そもそも思想なんて、
そんなに簡単に割り切れるものではないと思うからです。

どちらにも良いところはあるだろうし、
悪いところもあるだろう。

でも、物事って名前がついた瞬間から
所属した者は組みすることを約束させられ、
思考停止し、相手を否定、
攻撃することを余儀なくさせられてしまう。

所属意識は人間の本能だそうですが、
それが嫌なのですね。

ジャーナリストの久能 靖さんと企画した
『あさま山荘事件トークショー』でも、
元赤軍メンバーから
「思想・主義のために思考停止して、
個よりも全体の為に行動した。
それがたとえ仲間のリンチだとしても」
という話がありました。

名前や言葉は目標にもなるけれど、
時として縛りにもなります。

言葉に縛られて、目が曇ってしまってはならない。

良いものは良い、悪いものは悪いと
自分で感じたり考えられる人になりたいと思います。

そして、先の大戦を振り返り、
開戦の理由として、
資源確保や領土拡大、
または独立が目的だったなどという解説をよく目にします。

でも、戦争体験者から、
世論の情報操作や時代の空気が
「戦争へと突入していかざるを得なかった」といった体験談を聞くと、
争いは『正義感×正義感』で起こるのだと思うようになりました。

信念を持つ言葉は強い。
またその言葉を口にするたび信念はますます強くなる。
一人一人が自分の『正義感』を信じているなら、
争いが止むことは簡単ではないですね。


より最適な判断ができるよう、
正しい(フェアな)情報を発信したり入手する力が
個々に必要だというところを考えた終戦記念日でした。