同・窓・会 | 原元美紀 オフィシャルブログ 「原元美紀のミキペディア」 Powered by Ameba

同・窓・会

実に27年ぶりに中学時代の仲間と再会しました。

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私の中学は公立でしたが、
一学年約500人、全校で1500人規模のマンモス校でした。


そして、今の常識では考えられないほど体罰の厳しい学校でした。

前髪は眉毛に着いたら
先生がハサミでジャギジャギに切るし、
先生に蹴飛ばされて肋骨が折れた、
殴られてメガネが割れたなんてしょっちゅうでした。

あまり怒られたことのない私でも、
スリッパで頭を思いきり叩かれたことがあります。

(後にも先にもそんな目に遭ったのはそれっきりです。)


その時代、モンスターペアレントなんているワケもなく、
どんなにむごい体罰を受けても、
親も一緒に土下座して「すみませんでした」と謝るだけです。

ドラマ「スクール・ウォーズ」で、
コーチがラグビー部員にビンタするシーンが問題になりましたが、
なんで騒ぐのか逆にビックリでしたよ。


とまあ、悪い部分ばかり書きましたが、
文部省(当時)のモデル校でもあったらしく、
部活のレベルがとにかく高く、
文系も運動系も、多くの部活が全国大会常連でした。

部活を目当てに学区域を越境し入学希望する生徒が跡を絶たず、

かくいう私もその一人でした。


私の所属していた吹奏楽部も、
例に洩れず全国大会金賞が当たり前だったのです。

顧問の先生が滅多に体罰を奮わない人だったのが救いでした。


しかし、毎日、「学校ってなんだろ?」と考え、
とうとう「出家したい」と言い出して、
担任が慌てて親を呼び出したこともありました。

ちなみに私の卒業文集のテーマは、学生生活ではなく、
「魂の話」。

変わり者の私は、中2の時に
自力でスピリチュアル世界にたどり着いていました。



そんな私には、温かく見守ってくれた恩師がいます。


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人生って?社会って?


そんな疑問ばかりで頭をいっぱいにしていた中学三年生の時、
家庭訪問に来た恩師のN先生は、
突然立ち上がり、我が家のアップライトピアノの蓋を開けました。

「基準」のドを人差し指で叩き、

「これが普通の人。でも、美紀は違うんです。」

と言って、タララララララ~と、
そのまま鍵盤に指を這わせ、2オクターブ高いドを叩いて、

「美紀はここにいるんです。

他の子とちょっと違うものが見えているんです」

と言ってのけた。

あまりに鮮やかな物言いと
少々芝居がかった仕草に、
「人を導く人はこのくらいのことをやるのか!?」
とのまれました。

母親も、この先生なら預けて大丈夫と安心したらしく、
「この子変わり者で…」と言いながら泣いていました。


私はその日から教師を目指した。

N先生と同じ国語科の免許を取ろうと、
教育実習もN先生に担当していただいた。

実際、就職活動の時はアナウンサー受験をしたのだけれど、
それもずいぶん迷ったことだった。


N先生にも申し訳ない気もしたし。

でも、N先生が、
「これからは学校しか知らない人が教師になるより、
社会に出ていろんな経験した人が子どもたちに教える時代になると思うの」
と背中を押してくれた。


私はまずアナウンサーになって、
「普通では行けない所に行ったり、
普通では会えない人に会ったり、
普通では出来ない経験をしたりして、
それを子どもたちに語ろう」と決意した。

そのままアナウンサーを辞めて教師になる機会がないまま

20年が経ってしまったけれど。


同窓会で久しぶりにお会いしたN先生がご挨拶をされた時に、
意外な言葉が聞かれました。

「人生で何度も辛い出来事を乗り越えて来ましたが、
頑張れたのは、
『あの時生徒にあんなに厳しくしたのに、

自分が甘えちゃいけない。生徒に申し訳ない』

と言い聞かせたからです。」


どこぞの軍隊か少年院かと思うような厳しい指導だったけれど、
先生たちも当時複雑な思いを持っていたのだということが、
27年経った今始めて分かりました。


中学時代はあれ程欲しかった自由、
皮肉なことに、校則のほとんどない高校に進学したら、
私は廃人になってしまいました。

中学生活ですべて燃え尽きてしまったのです。


命がけで取り組みたいものが見つけられなかったのです。


尾崎豊の「卒業」を繰り返し繰り返し聞いていました。



各部活の団体競技の成績が良かったのも、
あの狂気じみた体罰指導による産物ともいえます。

体罰を肯定する気はありません。
実際N先生もほとんど体罰をしませんでした。

それでも多感なあの年頃の私たちから
尋常でない集中力を引き出した先生。


そして、あの独特の張りつめた空気感で

ともに歯を食い縛りながら頑張ったり、

ちゃんと楽しいことや笑えることも味わった同級生は
今振り返って『戦友』だったと思います。