■実家生活も一週間が過ぎ、父も母もお疲れモードである。「しばらく来なくていい」と言われる前に帰らなきゃと決意。
なんだかんだいっても、60代の父母にはエネルギーの塊。のこだまっちの毒気にあてられるっていうか。
「孫は来てよし、帰ってよし」なのである。
■で、我が家から歩いて5分のところに、祖父が住んでいる。こだまっちにとってはひいおじいちゃん。御歳93。すごい長生き。
我が家は長生き家系らしく、ほとんどが100歳の大台を越えている。すごいよね、100ってさ。
であるが、さすがにおじいちゃんも、生きていくのにひーひーである。
年金もたっぷり入り、生活の心配はなく、嫌味ばっかり言ういやなおじいちゃんとして大活躍してきた彼も、もう自分でお風呂に入ることすらできない。
私の母が、毎日通って面倒をみ、さらにはお手伝いさんも頼んでいる。
私が手伝おうとするも、おじいちゃんのプライドからか、とても嫌がる。なので、負担は母一人になってしまう。
最近は入れ歯も自分ではずせないとか。
「もう、疲れたよ。生きていかなくてもいいよなあ、わしは」
と、しょっちゅうぼやいているらしい。
私がこだまっちを連れていくとわかると、普段はパジャマのおじいちゃんも、びしっと着替え、達筆な文字で手紙を書き
「本を読みなさい。家族を大事にな。」と毎回同じ訓示をいただく。
しかし、9キロになったこだまっちを5分と抱いてはいられず、「もう、いいか」を降ろすことさえ、母に頼む。
以前は寝る前に雨戸を閉めに行くだけだったのが、ご飯の準備に通うようになり、お風呂を入れに行くようになり、一日に7回はおじいちゃんの家に通う。でも、同居するより気楽なんだ、とおじいちゃんは笑う。
母はおじいちゃん、私は赤ちゃん。二人とも命の世話をしている。
決定的に違うのは、おじいちゃんのお世話はどれだけ続けても、体はよくならず、赤ちゃんのお世話は命が花開いていくのを体験できることだ。
終わりゆく命と始まる命。
同じ命、同じ時間を生きているのに、こんなにも違う二つの命。
そして、同じお世話でも、まだこだまっちのお世話の方が、気が楽というか、なんというか。どんどん一人立ちしてくっていうか。
お母さん、本当におつかれさまなのである。
「順番、順番」と母は笑うが。
■「こだまっちに、たくさんの本を」
と言われ、絵本を買いに行く。
学生時代から見ていた海にちょっと立ち寄り、ぼんやりする。
きっとこうやって、ずっと生きていくんだろうなあ。
