■この頃ふりかえるとこだまくんが居た位置にいない。つまり寝返りをしていて移動しているんだと思うのだが、その瞬間をまだ見ることができない。そのため、寝返りはまだしていないことになっているのだ。しかし、前居た位置ってのが正確に思い出している自信もなく、私があほなのか、こだまくんが寝返ったのかが非常に微妙な毎日なのである。
■そんなぼんやりした頭で生活している私は、今日ゴミだしの日を間違えた。可燃ごみをだそうとして曜日の間違いに気づき戻ろうとしたところ、近所のおばさんに声を掛けられた。
「しまった!」
私は、この方が非常に苦手なのである。
「あら。haramiさん、おひさしぶりねえ。こだまくん、大きくなった?母乳はでてる?」
「あ、はい。今のところ順調です。」
「寝返りはしたの?」
「あ、まだです。」
「そお、でも6ヶ月ならすぐよ。もう、寝返りするようになると今より大変になるわよ~」
「そう聞きます。」
「あと、離乳食ははじめたの?」
「はい。重湯を。」
「手作り?」
「はい。」
「そお、大変ねえ。でも、これから手づかみで食べたりして、部屋が汚れるようになるともっと大変よ~」
■この人は、私が妊娠中からそうであった。妊娠したことが春にわかると「夏になったら大きいお腹が暑くてもっと大変よ」夏になれば「冬の出産は寒くて、授乳とか大変よ~」「今は身一つだからまだ楽だけど、産んだら二人だから大変よ」出産すれば「母乳なの、あらえらいわねえ。でも、母乳だけだと人に預かってもらえなくなるから大変よ」3ヶ月経つと「離乳食はじめるの?離乳食大変よねえ」こだまくんの湿疹をみれば「まあ、ひどいわねえ。病院行ってるの?そう、薬付けてるの、でもこれから暑くなるからアセモとかでてきて、もっと大変になるわよ」
いつ会っても、とにかく「これから、もっと大変になる」と断言し続けるのである。
見た目はとてもソフトな方で、人柄もいいのだが、何せ子育てに関して話をすると「大変、大変、でもこれからもっと大変」と言われ続ける。お子さんが3人いて、今は彼女の元を離れている。彼女は60歳を過ぎていて、こだまくんを見れば抱っこをしてくれる子供好きなのだが、大変大変とまるで呪文のように唱え続ける。
「大変ね」ということで、「私は子育ての苦労を知っているわ。だから、その辛さわかるの。頑張ってね」というエールのつもりなのかもしれない。しかし、私の耳には「いひひひひ、子育てって大変なのよね、いひひひひ」というものすごくネガティブな言葉にしか聞こえないのである。
現在同じ子育てに労力を注いでいる最前線ママさん同士なら「大変だ」「そうか、大変だよな」とお互いにエールを送りあったり、必要な情報を交換し合ったりしてそれはそれで聞ける言葉なのだが、彼女の言葉は「大変でしょ~、でもこれからもっと大変。私は知っているわあ」という脅しにしか聞こえないのである。そして脅しにくるおばさんは後をたたない。
もちろん、子育ては想像以上の苦労がある。今までの生活パターンを捨て、結婚後10年間も自由な生活を満喫していたから「これも、あれも、それも!」と中断せざる終えないことはたくさんあった。睡眠時間でさえ自由に取れない。買い物行くときだって、オムツから着替えから心配で持って行き大荷物。ちょっとスタバに寄りたくても、こだまくんがぐずっていたら諦めて帰ったりする。そりゃ大変である。これからも精神的にも肉体的にも想像を超える事がおこるのであろう。
しかし、子育てはそれだけではない。私は動物をかわいがったりしたことがなく、小さないたいけたものをかわいがる感性がないなあと思っていたのだが、こだまくんはめっぽうかわいい。未来の事が恐怖から楽しみに変わった。それ以外にもこだまくんと暮らす楽しみは沢山発見している。子育ての大変さの表裏一体には喜びもあるのだ。それはあのおばさんもわかっているに違いないのに。
行政や会社やら、子育て大変さを理解して支援してもらいたいところには積極的に大変さを訴えるのはいい。しかし、これから子供を持つかもしれない人達にめったやたらに子育ての苦労ばかり報じられている気がしてならない。少子化の一原因なのではとさえ感じる。子育ては楽しい。子供はかわいい。子供がいるということは、大変さもあるがそんなに悪いことばかりではないよと、これから子供を持つかもしれない人達には私は伝えていきたいなあ。はらほろひれはれ。
■今日も朝から重湯をつくる。おなべの中に生米を入れて、30分コトコト煮る。大変大変。
「また、ケーキ食べてるの…」
