こんにちは。ちょびです。
認知症の母の話の続きです。
こちらの記事の続きです
特養入所後1ヶ月は
合わせて
特養入所後の実家のお話です
コロナ禍でしたが
外出制限が解除になるのを
待ち望んでいました
私ちょびは関東住まい。
コロナ以降、
介護らしい介護はしていませんが
約7年間、遠隔で母を見守ってきました。
地方の実家まで
飛行機or新幹線、電車、レンタカー
朝7時過ぎに自宅を出て
午後3時頃実家に到着
そんな距離です。
5月に87歳で亡くなった母は
85歳1ヶ月から
86歳9ヶ月まで特養にいました。
今回は
特養入所1年目の母の様子と
私が行ったことを
前回の実家管理と合わせて
書き添えました
2022年 入所後から
4月:特養入所
直後に施設長さんに挨拶に行く
その時に面会制限があることを知る
LINE面会 週1回 対面なし
それに合わせて
写真付き手紙を送る様になる
4月 父亡き後、初めての楽しい会話
このとき母は、
特養に入るにはまだ早いと思うほど
足腰も会話もしっかりしていました。
当時、
資金不足で6年間も父のお墓を作れず、
父の遺骨が
自宅に置きっぱなしになっていました。
父亡き後に
母が石材店に申し込みをして
兄が即キャンセルする・・
この繰り返しを
何度したか分かりません。
お墓を作れなかったのは
母の借金を返済した上で
生活費を確保するためでした。
2022年4月は
借金がある程度減ってきたことと、
母が特養に入所し、
生活費が固定されることで
将来の見通しが立てやすくなったため
兄と話し合い、
兄妹の持ち出しで
墓所の整備をしました。
母に報告すると
両手を挙げて
ばんざーい!!🙌
と大喜びしていました。
6月:特養でコロナクラスター発生
母も陽性となり1ヶ月半の隔離
職員さんにも感染が広がり
LINE面会も手紙の郵送も中止
母も私もLINE面会に慣れて
徐々に楽しくなり始めていた最中でした。
😢
特養では
コロナ治療薬ラゲブリオを処方され
個別に隔離の状態。
職員さんからは
熱はすぐに下がり、食欲もあって
軽症とのこと。
そうは言っても、
長期間の隔離で
母がどうなってしまうのか
心配でたまりませんでした。
7月:父のお墓設置と納骨 6年ぶりに叶う!
特養コロナクラスターが明ける。
7月の母の様子
隔離1ヶ月半後にLINE面会が叶った時
母の様子はガラリと変わっていました。
母は言葉を発することが出来なくなり
足腰もガックリと弱って
車椅子の時間が長くなっていました。
LINE面会では
私の話は理解しているようで
一生懸命、笑顔を作って頷いていました。
11月:アクリル板越しの対面面会15分
(12月からは施設側がコロナ再流行を警戒し
LINE面会のみに逆戻り)
11月 母と猫のフジちゃん
目がうつろで朦朧とした表情の母。
私たちが分かっているのかどうかが
判断できませんでした。
15分間、母が言葉を発することはなく
ひたすら私が話しかけました。
兄は無言でした。
付き添いの職員さんのお話によると
夜、時々「フジちゃん」と
呼んでいると・・・。
娘と息子の名前ではなく
猫のフジちゃんを呼んでいるなんて
母がとても憐れで、切なくなりました。
このとき、
もうフジちゃんの姿は
見えなくなっていましたが
フジちゃんは元気にしてるよ!
私らがちゃんと餌をあげてるよ。
フジちゃんは
お母ちゃんを待っているから
心配しないでね。
と母に言うと、
少し微笑んで頷きました。
嘘なんですけどね…
:;(∩´﹏`∩);:
帰省を終えて
昔元気だった頃の
フジちゃんの写真を郵送しました。
ほら、フジちゃんは元気だよ
と手紙に書いて
LINE面会でも話題に出しました。
ワタクシ、
付き添いの職員さんが
あら、ネコちゃんすごいね
まだ元気なんだね
と驚くほど、
迫真の演技をいたしました
それ以降は
母が寂しがるのが辛くて
私の方からフジちゃんの話題を避け
母の記憶からフジちゃんを消して
代わりに私との時間を楽しんで貰おうと
心に決めました。
特養がクラスターになる前は
母に対して
愛憎入り交じった気持ちが
ありましたが、
コロナ感染後に
ただ母を笑顔にしたい気持ちばかりに
なりました。
とどのつまり
母は
余計な事を
口に出しすぎる人だった
と言うことで…
子どもにとって母親は
黙って微笑んでくれるだけで
充分な存在なんだと
学びました
この年、11月に帰省したら
母家の電気が付かなくなっていました。
電球は替えず
以後、ヘッドライトで探検
片付けをしています。
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