たまに過去に戻りたくて泣く。

お父さんとお母さんが仲よかった頃。
家族で仲よかった頃。

あのままだったらどれだけ幸せだったんだろう。

あの時だってしんどい事もあったんだろうけど、今思い返す思い出は全部幸せ。
マッチ売りの少女のマッチ擦った時、こういう画が浮かんだんだと思う。

人生ってわからないなぁ。

わからないから、これからも幸せな時もつらいときもあるんだろうなぁ。



昨日からまだ気持ちが落ちてるな。

今日はダメな日だー………

動けない……


午前中は結婚式の打ち合わせでモヤっとしたことの不安が尾を引っ張っててぐったりしてて、それでも動こうとして苦しかったけど
午後からあきらめたww
寝て、変な時間に昼食べて寝て、現実逃避。


あきらめたら逆にスッキリ。
20数年前の今頃、約3年間の中学受験勉強に限界を感じた私は、29〜30日に行われる試験の1週間前に、大号泣して「受けたくない!」と叫んだ。

たびたび塾に連れられる車のハンドルを掴んだり、動いている車のドアから飛び出したり、死ぬ勢いで、嫌で嫌で仕方がなかった中学受験。

一族が皆してるから、両親2人とも私学だったから公立中学や高校受験のことは分からないから、
という理由でとにかくやらされてる、という気持ちのまま、塾と家族が妥協した女子中高、そこから外部に大学受験も出来るけど、エスカレーター式で女子大にも進むことが出来る中学を受験する事になった。


小6夏の時点で志望校模擬試験では

算数3点。

他は合格点に達してたから9月以降、大嫌いな算数だけやるように言われた。(個別指導だったので科目は変えれた)
本当に嫌だった4ヶ月。



むしろこの4ヶ月があったから妙な我慢強さがついて、仕事も体調崩すまで我慢することができたのかもしれない。



そして記事の冒頭、本命受験の1週間前に号泣して塾に行かない!受験もしたくない!と部屋で叫び、焦った母が塾に電話して先生に宥められ、もう反抗する気も無くなって、泣いたまま最寄駅まで送られて電車に乗って塾に行った。


1週間後、諦めたように志望校を受けて合格した。

単純に今までの苦労が報われた、という気持ちと一緒に塾の友達も学校の友達もいない学校に進学する事に絶望を覚えた。

祝われても祝われてもその気になれないまま、気づいたら入学式。
隣に座ってた子はさらに隣に座ってた子と元々友達で私が取り入る隙もなく、逆となりは通路で、人見知りだった私はなにも喋ることが出来ずに、どうにか出来た別のクラスの友達に誘われて入った部活でも、人間関係がうまくいかずに、すごく苦しい一年を送る事になった。

派手な子達に囲まれて詰問されたり、その詰問中に後ろから、スカートめくられたりした。
ドラマみたいな殴る蹴るやトイレに閉じ込められて水かけられるとか派手ないじめはないけど、強烈に孤立してた。


孤立、孤独。
この時点で得た経験も、20年後の会社での冷ややかな目線にも無駄に耐えることが出来てしまったのかもしれない。


一年生の最後、見かねた部活の先輩や先生が、私の駄目なところを怒ってくれたり、部活仲間を怒ったりしたことで、なんとか丸く収められた。

後の中高5年間は部活の友人とも部活以外の友人も出来て、本当に本当に楽しい時間が過ごせた。


けれど私は、勉強すれば将来の選択肢が増える、と言うことがまるで分かってなかったし、付属の大学がある事で、他の受験生より焦りがあまり無かったと今になって思う。

結局、外部受験もしたけれど、全部落ちてエスカレーター式に付属の大学に進学した。
1〜2年くらいまでは平凡に過ごしたんだと思う。それくらい、記憶がない。

3年からゼミが始まり、卒業研究で組みたくもなかったのに、中学の頃からずっとあの子はフレネミーだと言われてた子と卒業研究を組む事になった。
嫌だった。普通の友達でもずっと2人で卒論したらモメるのになんで元々いわくつきの子と組まなきゃならないんだ。と思った。
無茶振りしたら思いとどまるんじゃないかと思って無茶苦茶言ったけど
「それでも私はくに江ちゃんとやりたい」
としつこくお願いされ、仕方なく引き受けたら案の定マウンティングが始まった。

家族や親戚のことやお金のこともさることながら、とりわけマウンティングが多かったのが友達のことだった。

「〇〇ちゃんはあんたよりも私のこと、友達と思ってるから」
「〇〇ちゃん達とはあんたと違って、私は何年も一緒にいるし」
「なんでそんなに友達いないの?」

とにかく、私の友達が少ない、と言われ、その数少ないあんたの友人達はあんたなんかより私の方が大事だから!
という趣旨の事を卒業研究中ずっと言われた。


はじめは何言ってるんだ?って思った。
大学生にもなって、友人の深さや濃さや人数を比較する人の存在に驚いた。
だけど、執拗に何度も言われ、その子自身のヒステリックさに振り回されてる間にどんどんそうなのかな?とか私に友達がいないの?と落ち込んでいった。

同時にその子と関わりがない友達とは、わざと会わないように隔離されたり、悪口吹き込まれて
「私には沢山の仲間がいるの。あんたの友達は私の方が大事なの。あなたには誰もいないの。」
を擦り付けられた。

もっと沢山友人関係以外でも色んなことされたけど、割愛。

中1の時よりはマシだけど、大学時代の後半、1番モラトリアムで楽しむべき日々が、地獄のように辛かった。


でも、やっと社会人になった。
その子は縁故で大企業の営業マンになった。

遊ぶ約束や一緒に行こうと行ってた舞台も何度もご自慢の企業の営業という仕事を武器にドタキャンされて、何やってるんだろ?私?とふと我に返った。

そこから、その子が忙しくなったこともあって、

『あの子は私の方が友達だから!』
『あの子達と遊ぶとかちょっと引くわー。』

と言われてた子達と連絡をとるようになった。
というかとれるようになった。
遊んだらすごく楽しかった。
その子と共通の趣味だったことも、ずっと私には友達を作るスキルがないから一緒に行動しなきゃ、と思いこんでたけど、ちょうどSNSが発達した事で、自分が色々発信してるうちに、面白いねって言ってくれる人が増え、段々と新しい友達ができた。

急に人生が楽しくなった。


そのうち、その子と連絡を自然とこちらから取らなくなった。
そしたら、その子から鬼のように電話や、なんの用もないのにメールが毎日毎日大量に着た。
怖いから返事しつつも、徐々に返信する回数を減らしていって、もう大分返事もしなくなった頃、とあるきっかけで完全に連絡を絶った。

共通の友達との結婚式で会うかもしれない、中高や大学の同窓会で会うかもしれない、そんな時どんな顔して会えばいいだろう?とも思ったけど、それよりもその子と付き合うことへの限界と、その子を介することがなくても私にも友達は作れるし、そもそも友達、いるんだった。
という当たり前なことを思い出すことができた。


そして今日。
ドキドキしながら、結婚式の連絡を友人達にLINEした。

「本当におめでとう」
「すごく嬉しい」
「絶対行く!」
「もちろん参加します!」

誰かから見たら、少ないかもしれない。
もしかしたら、社交辞令なのかもしれない。

でも私にとって大事な大事な友人から沢山返事が来た。


1人で泣いた。


本当に、ありがとう。
幸せになります。