一族中で1番低学歴で、社会人になったら見返そうと思った。
だから大学のうちに資格とって、専門的な部署に入って、とある賞を最年少で獲りたいと思った。
入社の時、親会社との合同のグループワークで初めて1番になった。
嬉しかったから、私の記憶には残ってる。
ただ、親会社の同期は忘れてた位だし、私も嬉しかったけど、ほんの些細なことだと思っていた。
たった一日の合同のグループワークの出来事なんて。
そして、希望の部署に入社。
部署の先輩は優しかった。
はじめての部署の飲み会、大学の飲み会よりも楽しかったし、小旅行まで行った。
その小旅行の次の週。
上司に呼び出され、その部署から事務職に異動を言い渡された。
トイレなんていく間もなく、その場で泣いた。
夢が潰えた。
リーマンショックで、事務職から早期退職者が出て、その増員要請だった。
次の週から、地獄が始まった。
飲み会では優しかった先輩が大変貌。
多分1番初めの倒れた時のブログにも登場してるはず。
暴言、叫ぶ、唸る、電話叩きつける、プリントリアルに押し付ける、分厚いファイル指先にバシ置きする先輩。
日常が白黒になった、とか、一気に味のしないガムになった、とか、そんな感じ。
それでも他の人達は優しくて、おじさんとこっそりお菓子押し付けあったり、すごく大人の飲み屋さんに飲みに連れてってくださったり(もちろんやましいところでもなく、やましい事でもなくて)、仕事面も、みんな恐ろしいあの女の事見てるから、私がパニックになったら色んなこと教えてくれて、みんな優しくしてくださった。
それが2年目の半分。
そのあと、さらに異動になった。
この頃から業務過多に徐々になっていった。
唯一良かったと思うのはあの女と離れられた事。
残業して、1番歳の近い先輩と一緒に愚痴りながら帰ってた。
しんどかったけど、先輩と愚痴れて仲良くなって楽しかった。
2年目の最後。
呼び出され、あの女と同じ部署にまた異動になる話を聞いた。
もう今度こそ絶望だった。
場所は、本当に突貫で作られた隅の端の部署。
仕事内容はどう聞いても向いてなかった。
元より事務職に向いてない自覚もある中、さらに専門性のある職、迅速な対応と豊富な知識がいる仕事。
半年スパンで移動したせいで「とりあえず雑用から…」状態で、ようやく覚える段階で異動するからどの部署の内容もうっすらしか知識がない。
積んだな。と思った。
案の定、10年選手20年選手の中、1人3年目。3年目にしたって、どこかに居座った経験もないこともあり、商品名もろくにおぼえてない、ひどい知識不足と多忙さに全くついていけなかった。
もちろん、呼び出された。
「原田さんはさぁ、新入社員の時に一番になったくせにさぁ、なんでできないわけ?私達のこと、馬鹿にしてるの?舐めてるの?
考えが甘いよ?っていうかあんたが資格持ってるとか、どうでもいいから。なんで出来ないの?」
今でも思う、何か他の言い方はなかったんだろうか。。。
新入社員で1番ってあのグループワーク…?
そんな、他地区の営業所(他地区出身の先輩だったから)にまで回るくらいのことだったの?
言われるまで忘れてた。
資格だってひけらかした事ない。
出来ない理由……向いてないとしか言いようがない。でも仕事だからしなきゃいけないのは分かってる。分かっててこれなんです。よ。。。
そこからは、専門の仕事を抜けて、雑用とかフォローとかに回って徐々に仕事を回してもらって覚えていった。
部長が変わった。
もはやフォローとしては完璧だと自負していた。専門にはできないけど、どの仕事でも出来る。主役にはなれないけど、他の先輩がなるだけやりやすくなるように、フォローする。
それが強みになっていた。
でも部長が変わった途端に、専門の仕事を2つ、別の事務的な作業、そして雑務の全てを任された。
一気に業務過多になって、出来ません、と言った。
「出来なくなるまでやって」
が返答だった。
もちろん仕事はどんどん滞っていった。
出来ない、苦しい、溜まる仕事。
周りの先輩もどんどん冷たい視線に変わっていった。
色んなところをフォローしてた時は、助かった、ありがとう、と言ってくれてた人から笑みがなくなっていった。
「なんで出来ないって言ってくれなかったの?」
忘れられない。
言ったじゃないか(暗くなってきたから関ジャニ∞ほりこんで調和を…)
先輩の言った通り、私は出来なくなるまでやった。
出来なくなって、会社に一年半近く出て来れなくなるまでやった。
私は、やっぱり、一族中で1番出来ないやつなのかな。
悲しいな。