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非日常とは、


の答えはあたりまえだが、

日常的ではないこと

通常の日常生活では体験できないような場面や状況または経験などを指す表現。ようは当たり前ではないこと。


いかにこの、非日常を数多くしたか。

人を創る。(断言!)。


数多く、誰もよりも多く。それをやる。

といっても、誰よりも多くというの比べる相手がどれくらいも分かっていないので、

人と比べということは全く必要もないことだが、

それはあくまで勝手なイメージ。なのだが、

それくらい人と比べても多くということだ。


誰もが日々、働かなくてはならず、

食事をしなくてはならず、

寝なくはならず、

歯を磨かなくてはならず(そうしないと口臭い)、

身体を洗わなくてはならず(そうしないと身体が臭い。他人に超迷惑)、

などやらなくてはならないことに

日常の時間が埋められている。


仕事が休みのときは、

休んでいたいので、ダラっとしたい。

ちょっとゆっくり買い物もいくか。

子供が子供なら、一緒に遊ぶか。


もう生きているあいだのほとんど全てが、

日常パターンで決まって生きているのではないか。

そのパターン化された日常は、日常であり、

非日常のことではない。


パターン化された日常以外のことを、

どれだけやるかやったかが人を創る。


この非日常を大してやらなくても

何も困ることはないまま死を迎える。

なので非日常をしなくても問題はない。


が、この非日常を数多くやればやるほど、

人が出来る。


それはその人に

遊びがある。遊びが出る。ということになる。

 

遊び人、とは違う。


部品や機械などにわざとゆとりをもたせること。ハンドルの遊びなど。

物事にゆとりがあること。

らの遊び。


その人間にゆとりが出ること、ゆとりがある人間となること

である。


非日常は、日常的なこと、パターン化された日常の内容出なければ、なんでもいい。


遊ぶ遊び、ではなくてもいい。


が非日常をおこなえばそれが遊びでなくとも、

その人に遊びがうまれてきて、

ゆとりがうまれ出来てくる。


たまに非日常をやっても、日常から解放され

心にゆとりがでるが、

なんでもそうだが、

数多くやってやり続けてこそ、

その人の中身に定着する。


一時的、たまに、でもこの非日常があることはよいが、

やはり、定着には、数多く、定期的に非日常をだ。


...非日常をやることが好きなわたしは、

この月曜から今日のさっきまで、九州にいた。

福岡県に非日常しにいっていた。


そしてその隣りの県、佐賀県にもいった。

佐賀県は初めて訪れた。

この佐賀県は2021年の都道府県

魅了度ランキングが46位である。

そこに行くからには、何をするか、を事前に練ったが、何も無かった。これが46位か~、と思ったが行ってみた。


全てが、非日常の行動だ。

日常では、この佐賀県にいかない。


イカの活き造り 福岡県
有名人気の海沿いゴルフコース   
今シーズンのGOLFラウンドはこれで終了~
海に向かって打たないでください。 海
クルクル巻き博多とりかわ
博多鉄鍋餃子
長崎と小倉のちょうど真ん中の地  佐賀県
佐賀城跡

これら写真以外にも、非日常は色々様々あったが、

...以上。

でこれらの旅帰り、地元空港に着いて、
そのまま隣りの県に移動し、
高校野球トレーナーで有名なT氏と、
アメリカ国家医療資格ATCのT氏と、
でまた今日もワイン呑みーTング~🍷




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