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フィットネスクラブや、銭湯、スパ、温泉、ホテルで、
「大浴場」に入ると時に思い感じることがある。

風呂好き、温泉好き、露天風呂好き、の私は、
それらの大浴場に入ることが多々ある。
 
たった今も入ってきた。

何でもそうだが、世の中、他人への気配り気遣いはとても重要な行為だ。

ほとんどの人は、他人へ気配り気遣いをしながら生きている。

がそれが、表面だけの行動としてとっているだけのものか、
実際のその人に心底身に付いているものなのかは、分からないものだ。

で大浴場で時に感じること。
それは、シャワーだ。

自分の洗い場で、シャワーを用いて、頭および身体を洗う。
その時だ。

そのシャワーから出るお湯の100%が自分に全てかかるのかといえば、 
そうではない。

シャワーから出たお湯が、自分にかかる以外のパーセントのお湯。
自分に90%かかれば、それ以外の10%。
自分に70%かかれば、それ以外の30%。
自分に50%かかれば、それ以外の50%。
たまには自分に1%もかからず、それ以外が100%のこともある。
 
その自分にかかる以外のお湯は、
そのまま真っすぐ後ろに飛んでいっているわけだ。

自分の後ろに、他人が100%絶対にいない、
場合はそのお湯はただ後ろに飛んでそれでお終い。なんでもない。
 
が、そのほとんどは、自分の後ろには、
他人がいる、または、そこを通る、ことが十分にある。

ということは、
他人のお湯をぶっかけているのだ。

まあそれは綺麗なお湯といえばそりゃそうだ。
だが、他人のお湯をかける行為。

かけるといっても、意図的ではない、無意識。
だからそれは仕方がないこと。
ではないのです。

その大浴場は、自分専用の風呂ではない他人と共有共用するものだ。
自分以外の他人がいるわけだ。

自分の手で操作をしたそのシャワーの角度は、
あきらかに自分自信が操作をしたものだ。

自分個人専用の風呂でないかぎり、
後ろに他人がいるかもしれないいる可能性があるのだから、
その自分がはなったシャワーのお湯が後ろの他人にかからないように
操作することが求められる。

そしてその他人にかけないということは出来ること。

シャワーの角度が全て。
前から後ろに向かってシャワーを放てば、
自分にかからなかったお湯は後ろに飛ぶ。当たり前。

上から下向きにシャワーを放てば、
自分以外のお湯は、下に飛ぶ。

後ろから前にシャワーをあてれば、
外れたお湯は、前に飛ぶ。

なんてこの誰でも分かる物理的な法則。
ただそれだけのことだ。

いちいち述べる必要もないことなのだが、
それが解ってない、出来てない人が、多くいるのだよ。

意図的ではなく無意識だから、とか、
そんなたまにお湯がかかるくらいいいじゃないか、
とかの話しではない。

そりゃそだ。そのお湯がかかった人は大したことではない。
がそういうことではない。

誰だって、他人からお湯をかけられたくない!。
なので、
それを自分はしない。人が嫌がることをしないこと。

その他人にお湯をかけてしまう、といったことをしてしまっていることを、
解っているのかどうか。

他人への気配りをいつ何時でもどれだけできるかだ。

他人からお湯をかけられなくない。
なので、
他人にお湯をかけない。

といったこと、その気配りが、お風呂に入っている
リラックス、無意識場面でもどれだけ出来るのかだ。

シャワーのお湯が、後ろに飛んでいる人をみると、
「あ~この人は、他人への気遣い気配りってものが、心底は身に付いていない人なのだな~」「大人なのに残念な人だー」。
と心底思い感じる。

もっと他人のことをへの気配り気遣いを意識しよう。

横から横へのシャワーも、
自分以外に外れて飛んでお湯は、
隣りで洗っている人にかかることも多々ある。

その横から横でも、
後ろから前でも、
自分にみごと当たったお湯が激しく跳ねて返り、
横の人、後ろの人に、かかることもある。

そういった十分に考えられることを、
(できるだけ)そうならないように防ごう。
他人に迷惑をかけないようにしよう。
と考えそしてその行動をすること。
それが求められることなのだ。

それが大人だ。
それが社会だ。
 
そのちょっとしたことであっても、
そのちょっとしたことを、
他人への気配り気遣いが出来るかどうか。
そういう人かどうか。ということ。 

大人としての、人間力の差がつくところ。

..他人から飛んできたのが、
お湯  ならまだエッと思い怪訝になる程度かもだが、
それが  冷たい水  だったら、エッ、怪訝、だけで済むものではない。
怒りも出る。

とにかくどんな場面でも、
仕事の場面だけではなく、
自分が自由な時間も、
他人への気配り気遣いの行動をすることは重要なこと。

シャワーごとき、と考えちゃいけないのだ。

他人が少しでも嫌がることは(完全に)しない。
といった心積もりを皆誰もが常に持つことが大切なことなのだ。

大人は。。

それをまだまだ許されるのは子供だけだ。
 





 
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