太い幹を作るような生き方
通勤の車窓から
目に入る大木がある。
高架上の車窓からはっきりとわかる大木
何の木だろうか
植物にうとい私にはその名がわからない
しかしその木の威容から
樹齢が数十年いや百年にも及ぶものとはわかる。
当たり前のことだが
そんな木も最初から大木だったわけではない
芽吹いた頃は
それは不確かな存在だっただろう
若木の頃もまだ危うい存在であったに違いない。
しかしその木はその地にあって
毎日、毎月、毎年、確かに年輪を重ね大木となった。
木に器用な生き方も不器用な生き方もないが
毎日を積み重ね今の大木となったのである。
私が生まれた頃
その大木はどの程度の大きさだっただろうか
その木が時を重ねて太い幹を構成したのに比べ
私はどうか
迷走を続け
この年になっても太い幹を作ることはできなかった。
腹は出たが
太い幹と呼べるようなものは何も形作ることができなかった。
今、思うのである。
毎日の積み重ねが
やがて太い幹となるような生き方をしてきたなら
ずい分と今の心境とは違うものであったに違いない
(初老の作家気分で書いてみた)
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