行き過ぎたポジシンの弊害
名古屋女子マラソンで残念な結果に終わった高橋選手に対し
その日Blogをサーフしたら
礼賛の声が多いのに意外な感じを持った。
どうも走る前の
「あきらめない限り、夢はかなう。」というポジティヴ・シンキングが支持されたようだ。
残念ながら北京で走る夢はかなわなかったわけだが
私など走る姿を見て正直「もういいんじゃないか」と思った。
これが万年2位で
あともう少しのところで金メダルにとどかなかった人であれば
まだこだわるのはわかるが
一度栄光を手にしている人である。
私などからすると老婆心と言われるだろうが
もうそろそろ女性としての普通の幸福を追った方がいいと考える。
特に最近私が思うのは普通の人の普通の幸福が尊いという考えである。
走る天才だから常人とは違うとしても
もうその才能に見合った栄光は手にしている。
痛々しい姿をさらしながら走り続けるより
リミットの迫った普通の幸福を追うべきではないか
フェミニストからは総スカンを喰らいかねない私見だが
個人的にはそう思っている。
だから無条件の礼賛には違和感を覚えた。
同時にものごとを肯定的に考えることは大事だが
際限のないポジティンブ・シンキングというのも
危ういものかもしれないと感じた。
過度になれば信仰に近い。
やはりポジシンも時と場合による。
状況を問わずポジティヴであることが絶対ではないだろう。