転職の損得 | インディペンデントで行ってみよう!

転職の損得


私は転職の損得とかは考えないようにしています。


なぜなら考えても仕方がないから、


こういう風にしか生きられないからこういう結果になっているのであって


それをあのときどうとか考えても意味がないと思っています。


先日の日曜日に瀬戸内寂聴さんを題材にした番組がありました。


その中で寂聴さんも


自分の毀誉褒貶の多かった自身の過去について


後悔はしていないと言われていました。


なぜなら「後悔しても仕方がないし、


こういう風にしか生きられなかったのだから」と


救いのある言葉です。


私の場合、転職をしたことにより


このままであれば多分金銭的には損になると思います。


しかし我慢して沈滞した時間を送らなかったことは人生を暗くしなかったし


この年でも曲りなりにも条件を落とさず職を探せるのは、


これまでの生き方の結果だと考えています。



私は面接等で31で初めて転職したときの理由をこう説明しています。


私は社会人になって早い段階から、組織に依存する人生、


自分の人生の主導権を会社に預ける生き方はしたくないと考えました。


会社というのはいついかなるとき状態がおかしくなるかはわかりません。


また一方的な転勤命令で各地を転々とすることもあります。


そして到底納得しがたい理由で処遇上不当な扱いを受けるリスクもある。


そのとき会社に依存するあまり、不如意の人生を嫌々送ることは避けたい。


これが最初の転職の動機です。


今となってはなぜそう考えたのかわかりませんが、自分なりに考えた人生のリスクヘッジです。


会社とは雇用契約によって関係を結び、一方で独立した個人としての人生を送る。


全人生を会社に捧げるような生き方はしない。


本音としては慢性的深夜残業や直属上司との人間関係も理由としてありますが


大企業にぶら下がる人生は自分の選択するところではないと考えたのが大きな理由です。


何らかの専門性を身につけたいという考えがその後の軌道を決定付けたわけですが


金銭的側面からすれば、退職金や企業年金を失ったという部分において


損をしているでしょう。


しかしこの年でも転職可能という面をみれば


自分が考えたとおりの軌道を生きてきたからとも言えます。


こういう風に転職には色々な側面があるので、ある局面だけをとらえて


その損得を考えても意味がないと思います。


私にとって転職は、得るものもなく嫌なことを我慢しつつ生きるより


自由社会の特権の一つとして他に居場所を求めた機会に過ぎない。


私はそう考えています。