その考えや言葉は本当に自分のものなのか? | インディペンデントで行ってみよう!

その考えや言葉は本当に自分のものなのか?

これまで書いてきた基調からすると

私は、「明確なキャリアプランをもって自覚的かつ計画的に自分の願うところを実現する。」

という原理原則を貫いている人間と思われるかもしれません。

しかし実はそういうことは全くありません。

正直に言って

目標を定め、逆算して一年や毎日のタスクを規定し、

それを確実に消化していくなどという文章に出会うと、

それは確かにそうだろうし、

世俗的な成功のためには有効な方法だとは思いますが、

そもそもそうした世俗的な成功が本当に自分の欲するものなのかどうか?

それはよく考えた方がいいと最近思い始めています。

自分ではよく考えているつもりでも

実は世間に流布している受け入れやすい考えを踏襲しているだけかもしれないし

あるいはあてがいぶちの考えをいつのまにか自分の考えと勘違いしているのかもしれません。

自分の本質的な声に耳を傾けている人間なぞ、実は少ないのではと思っています。

世には成功本の類の本があふれ

自己実現を求め、世俗的な成功をおさめなければ

まるで敗残者のような考え方が一般化しつつあります。

寸暇を惜しんで生きなければ

人にはあらず、立ち止まれば、一転転落すると脅迫されているかのようです。

しかしそこに本当に人としての幸福があるのかどうか

成功を求める生き方の一方で

もうすこしゆっくりとした歩みや日常の些細な変化に幸福を見出す生き方があってもいい。

私はそう考え始めています。

しかしとかく一方通行になりがちなこの国では

ややもすると皆同じ方向を向きがちで

本来、競争や軋轢を好まない人まで同じような競争下にさらされ

日々圧迫を感じながら生きる。生きざるをえない。

うつ病に苦しむ人の増加、年間3万人以上も自ら命を断つ人

こうした事実は身の丈に合わない生き方が支配的になりつつあることへの警鐘のような気がします。

巷ではけして物理的に豊かではなかったけれど

今よりも精神的には幸福だった時代の郷愁を描く映画がヒットしています。

私にはこれも現在の風潮に対する潜在的な抵抗が背景にあるように思います。

グローバリズムの名の下に世界に蔓延した弱肉強食、他者を排斥する考え方

少しこうした考えが行き過ぎたことに対する見直しの機運があってもいい。

競争は不可欠にしても、もう少しギスギスしない社会を実現できないものか

多様な生き方、存在を認め、ゆっくりと生きる考え方をも肯定するようになれば

少しは生きやすい世の中に変わると思うのですが