今日は、よつばの会がスタートして丸5年という節目の日です


2011年7月29日東京都内で初めてのよつばの会が
午前・午後と計13名の方に参加して頂き開催されました。


あれから5年….


本当に色々な事がありました。

5年前の今日、1回目に参加してくれた(午前の部)
のんちゃんとケイさん

この2人が、自然発生的によつばの会を本格的に手伝ってくれる
ことになり
私は心強い仲間を得る事になりました。


私と同じ年、同じ病気だったのんちゃん。
再発治療の中で参加してくれました。
出会った時はまだまだ元気で、会の終わりに
「何か私に出来る事あったら是非、手伝わせて下さい!」と
明るく声をかけてくれました。

知って下さってる方も多いと思いますが
のんちゃんは、私たちと出会って10ヶ月後
2012年5月に天国へ旅立ちました。

私より9つ年上のケイさん。
子宮体がん経験者。しかも長野からわざわざ参加してくれたんです。
ケイさんが、会の中で
「よつばの会のホームページを作ったら、色んな人に
会を知ってもらえると思うんです」と言ってくれて

そんな事思ってもみなかった私は
その申し出に心から感謝し、

それから3人で何度か会って色んな話をして、ああでもない
こーでもないと、打ち合わせを重ね・・・

2012年2月7日午後3時
よつばの会HPが無事に開設されたのです

HPが出来た事で、多くの方に会を知ってもらったり、
活動内容などもわかってもらえるようになって


それから、関西や北海道、福岡、名古屋、東北、四国と
各地でよつばの会を開催し続けることができ


丸5年経過した現在、よつばの会会員さんは500名を超える
人数となりました。


この、延べ500名超の女性1人1人の経験、思いを
各地で聞いてきました。
言葉では言い表せないほど、1人1人の物語は深く
数えきれない思いが詰まっているものです。
尊い、皆さんの経験に耳を傾けてこれたことは私の大きな財産です。



大切な仲間と出会って5年
1年も経たずにのんちゃんとの辛すぎる別れを経験し
当時は会を辞めてしまおうかとまで思い詰めた時もありました。
私がよつばの会をやらなければ、出会う事はなかったし
こんなに苦しい思いをすることもなかった・・・と。

泣きじゃくりながら、ケイさんに思いをぶつけたとき

ケイさんはずっと、「そんなことない」と
静かに私に声をかけ続けてくれました。

今は身がちぎれるほど辛いけど
でも、出会ってから過ごした時間、分かち合った思いは
何にも代え難い。

だから、私たちの出会いを否定する事だけはしないでおこうと。


のんちゃんだけではなく
これまで何名もの仲間との別れを経験してきました。

同じ病気を経験した女性が、若くしてこの世を去る姿を
見続けなければならないことは
あまりに辛いことです。

でも、悲しむだけではなく

彼女たちが精一杯この世で生きた証を讃えたいですし
出会えた事に心からの感謝をしようと
今ではそんな風にも思えるくらいになりました。
もちろん、無条件に別れは辛いものですが・・・・・・。


実は、いま私は長野県に来ていて、
帰りのサービスエリアにてこのブログを書いています。

私のかけがえのない、仲間
ケイさんのご主人が7月25日に急逝したのです。62歳でした。

7月のはじめに、調子の悪さが長引いたのもあって
2人でクリニックを受診した際に、その場で食道がんの疑いが
見つかってしまい

その後、大きな病院で検査、診察の結果

食道がんが原発で
悪性黒色腫になってしまい、多発性肝転移と腹膜播種も併発
している非常に厳しい状況でした。


すぐに入院をし、体調をみて
抗がん剤治療に入りましたが、効果がみられず
溜まり続ける腹水が苦しくて3リットルも抜いたそうです。

抗がん剤の効果が見られない事がわかった時点で
緩和治療に入り、
その日の夜、静かに息を引き取ったのです。

亡くなる前日、急遽ぴーちゃんと長野へ向かいました。
おぢさんは(ケイさんのご主人をみんなでこう、呼んでました)
私たちの顔を見ると、とても嬉しそうな顔をしてくれました。

少し会話をすることもできて、

ぴーちゃんは2時間ほど長野に滞在し、新幹線で東京に戻りました。
私は長野に一泊して、次の日もおぢさんをお見舞いしました。

心無しか、1日経っただけなのに
また少し痩せたかな?というおぢさんの姿。

突然私に、
「もうこれでお別れだと思うから・・・。これからも
頑張ってね」

私もケイさんも涙が止まりませんでした
泣かないって決めていたけど、あふれる涙を抑える事は
出来ませんでした。

「うん。頑張ります。おぢさんのようには守れないけど
ケイさんのこと、出来る限り支えていくから。でも
まだ最後じゃないよ、また絶対会いましょう」

こんな言葉をかけることしか出来ませんでした。

「千晶ちゃん、もう道が混むから行きなさい」


おぢさんの優しさでした。

私はその通りにして、お昼過ぎ東京に帰ったのです。

夕方遅く東京に着き、その日はあまりに疲れていて早い時間に
寝てしまいました。

5時過ぎにハッと目が覚めて
携帯を見たら、ケイさんから夜12時過ぎにメッセージが
入っていて

「千晶ちゃん、今おぢさん旅立ちました」

あまりに早い別れに、いまだに信じられない思いしか
ないんです。

おぢさんとケイさんと出会って5年。
我が家も夫婦2人ですから、ケイさん夫婦は私たちの憧れというか、見本のような存在だったんです。

夫婦というのは、気が合うととことん、
友達のような、同士のような、親友のような、親子のような・・・
あうんの呼吸で一緒にいられる
唯一無二の存在になるのかなと、ケイさん夫婦を見ていて
いつも微笑ましく、頼もしく思っていました。

子供がいないという事で、
どちらが先に死んだ場合、私たちどうなるのかな?
時々、ケイさんともそんな話をすることもありましたが
正直まだまだ先の未来の話だと
信じて疑いませんでした。


その現実がこんなに早くやってきてしまうなんて・・・

おぢさんは、よつばの会の活動を、陰から本当に支えてくれて
いました。

東京や名古屋に会社を持っていて、
よつばの会を開催する時は、その場所をいつも提供して
くれていたのです。
しかも、よつばの会は土日のどちらかに開催することが多いので
おぢさんは通常お休みです。
そんな中でも、嫌な顔ひとつせず、私たちにつき合ってくれるのです。

夕方会が終わると、ケイさんと私とおぢさんと時々仕事の都合が
つけば、ぴーちゃんと食事をするのが恒例でした。

美味しい食事やお酒を頂きながら
たわいもない話をして、多趣味で色んな事を知っている
おぢさんのおしゃべりを聞くのがいつも楽しみでした。


そして誰よりも何よりもケイさんを必要としていて
心からこの人以上のパートナーはいないということを
おぢさんの全部で表現してるような
ぴったりの夫婦でした。

水曜日に告別式に参列し、
出棺の時に喪主挨拶でケイさんが語った言葉も
本当におぢさんへの愛が溢れていて素晴らしかったです。

この日の長野はとても暑くて、梅雨がいまにも明けそうな
お天気でした。
ふと、空を見上げたら、周りはカンカン照りなのに
虹のようなピンクがかったとてもキレイな不思議な雲が
見えました。
思わず写真を撮り、きっとおぢさんが皆にありがとうって
メッセージをくれているんだなと。
きっとそうなんだと、その雲を
眩しく見つめていました。
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思ってもいなかった突然の別れ

ケイさんもこれからが本当に寂しかったり
色んな思いとの闘いだと思います。
おぢさんの代わりにはなれないけど・・・私なりに
大切な仲間を支えて行けたらいいなと思っています。



今朝、よつばの会5年という節目の日に
ケイさんと2人、戸隠神社の奥社に行ってきました。


のんちゃんと一度、長野に遊びに行った事があって
3人で戸隠や、小布施など(ここではおぢさんも一緒)を
まわったことがあるんです。
2011年11月のことでした。

そんな思い出の場所を、ケイさんと2人になってしまったけど
のんちゃんやおぢさん、よつばの会の仲間を思いながら
ゆっくりと歩いてきました。
この日にここに来れた事もきっと何か意味があるのでしょうね・・・。


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がんを経験して、沢山の思いが募り、
よつばの会を立ち上げました。

がんという病気は、進行すればするほど
治療はとても大変になります。
その経験は、した者にしかわからない
人生観を大きく変えるものなのです。

独りでそれを抱えるのは、あまりに
せつなくて、心が折れてしまいます。

だからこそ、よつばの会では
同じような病気を経験した者同士、
わかちあって、自分だけではないんだと
感じる事でそれを力にして欲しい
明日への一歩にして欲しいのです。

人は一人一人違う背景があり、
考えも違います。
でも、自分の経験から相手の痛みや
思いを想像する事は出来ます。
その思いが、誰かを元気づけたり
助けたりするのだと

よつばの会をやってきて
深く感じています。

私はこれからも、自分に使命があり、
余力がある限り、この会を守り、
そして原千晶として、がんの啓発活動を
継続していきます。


私はいつも、講演会で
がんは早期発見早期治療が鉄則である
ことを皆さんに伝えています。
とても当たり前の事のように聞こえるかもしれませんが、
がんイコール死にならないためには
これを置いてほかにはないと
思っています。

たとえ話なのですが、
人は「がん」という病気に対して
誰もが最初は平等に10枚のカードを
持っているとします。

一度がんになると、治療をする度に
一枚ずつカードを切っていくことに
なります。

私の場合なら、
30歳の時の子宮頸がんの円錐切除で
一枚。

35歳の子宮体がん、頸がんの併発
手術で一枚。

リンパに転移があった為、
抗がん剤の追加治療で一枚。

現在、私の手元には7枚のカードしか
残っていないことになります。

今回、おぢさんが急に末期のがんを
宣告された時、
ケイさんは普段から私が講演会で
語っていた、このカードの話を
思い出して、その通りだと
痛感したそうです。

あと1年、半年、3ヶ月でも早く病気が
わかっていたら…
カードが何枚か切れたはず。

あまりに末期でわかった時には
すでにカードが残っていなかった現実が
ありました。

もっと早く病院に行っていれば…
普段からきちんと検診を受けていれば
切れるカードは何枚もあったはず。
治療法はいくつもあったかもしれない。

これはあまりに酷な現実です。


今回のおぢさんの事
どんなに後悔しても、もうおぢさんは
還ってきません。
でも、この経験からまだ、学ぶ事があり
感じる事があり、
これからの人生を精一杯生きて
皆さんに伝えられることを
真摯に伝えていく


今日、この大切な日に
また新たな気持ちで前に進もうと
心に誓いました。

皆さん、これからもどうか
宜しくお願いします。

1人でも辛い思いをする女性が
減っていきますように…

自分らしくたくましく

よつばの会、6年目
これからも頑張っていきます!!!