「私はもうガンなんかじゃない!」と勝手に高らかに宣言し、子宮の摘出を拒んだ私。

2005年2月の手術で、ひとまずは悪い腫瘍は取り除けたという事で、とっても
体調が良くなった。おりものも正常な感じに戻ったし、生理痛も軽くなった。
お腹を切ったわけでも、穴を開けたわけでもなかったので、外見的には、本当に
何事もなかったかのように、すっかり元通りだったんです。

一時は、とても辛い思いをしたのに、苦しかったはずなのに、人間ってホントに勝手な
もんで、喉元過ぎれば熱さ忘れる。私は、再び完全な健康体に戻ったと過信してしまいました。

それでも、時々、不正出血があったりすると、ドキドキして不安になったりと
完全に頭から病気のことが離れるということはなかったのですが・・・

そして2009年。

7月頃から少しずつ体調に変化を感じ始めます。
生理は毎月決まって規則正しくきていたのですが、経血の量が増えていました。
1日目~3日目くらいまでは本当に1日に4,5回は多い日用の一番大きなナプキンを換えないと不安になるくらいで、夜寝る時は、パンツタイプのナプキンを履かないと布団を汚してしまうほどでした。

そして、時々、レバーのような血の塊が出てくる時もありました・・・。

それでも、以前からどちらかというと経血の量は多い方だったので、そんなに気にも
留めなかったのです。

10月頃から2ヶ月弱、ドラマの撮影で忙しい日々に入っていました。
季節も秋から冬へ。寒くなっていきました。
しっかりとした防寒もしないまま、少し我慢しながらの現場。
でもそれはいつもの事。ドラマの撮影に入れば、寝不足になったり、食事が不規則に
なる事も、慣れたもんだと、撮影に没頭していました。

所がこの現場に通う中で、また新たな体調の変化を感じていました。

おりものが増えていたのです。

それでも、以前2005年の子宮頸がんの時に体験したおりものとは全く違ったもの
でした。以前は、色が茶色っぽかったり、黄色がかっていたり、時には緑っぽかったりと、これは異常!!!というのがすぐにわかるようなおりものだったのですが、
今回は、最初はおりものだと思わないくらい、透明で水っぽい無臭のものだったのです。

そんなおりものが、トイレに入るたびに確認できるので、少し、おや?と感じていました。おりものシートが手放せなくなり、現場でも、普通に過ごしていても、おりものが
出てくるのを感じるほどになっていったのです・・・。

う~ん。これはマズイ。現場が終わったら、いよいよ病院に行かないといけないなと
考えるようになりました。

11月の半ばに無事、撮影が終了しました。
打ち上げにも元気いっぱい参加して、当たり前のようにお酒も沢山飲みました。
スタッフの方たちが若くて元気な方が多かったので、おおいに盛り上がり、2次会の
お店に入り、ワインを飲みだした所で記憶が途切れました・・・
いつもよりとっても弱くなってました。2次会でダウンしてしまうなんて・・・
体はもう、緊急を要するSOSを出していたのですね。

その後、2時間ドラマの現場に参加しました。
この現場が終わったら12月になってしまうけど、病院に行くことにしました。

12月に入り、クランクアップの前日まで撮影は進んでいました。
あと2日だ!という日の空き時間、一旦自宅に戻る途中で私は倒れてしまいました。
渋谷の現場から車を運転して自宅に戻る時、言い知れないお腹の痛みを感じました。
ず~ん、ず~んと鉛のように重たい痛みが、大きくなったり小さくなったり・・・
そしてその波の幅がどんどん狭くなって・・・
運転が危険だと感じるほど耐えられない、気の遠くなるような痛みになり、
まだ自宅まで辿り着かない所でギブアップ。
当時まだ彼氏だった旦那に迎えに来てもらい、何とか自宅まで帰り、その後夕方の
1シーンを無事に終え、その足でレディースクリニックに駆け込んだのでした。

次の日も現場が残っている。

とにかくその日の異常なお腹の痛みの原因を知り、強い鎮痛剤をもらうくらいの気持ちでした。その時私は生理2日目。生理痛にしては酷すぎる痛みでした。

診察した先生は、まず私の経血の量の多さを指摘しました。

そして、頚部にまたしても「何か」が出来ていると・・・!!!

一気に顔が紅潮しました。そして冷や汗のようなものが額に滲むのがわかりました。
両手で顔を覆って、その現実を包み隠してしまいたい気持ちが広がりました・・・

「どうしよう・・・・どうしよう!!!」

とうとうこの日がきた。
いつかダメになるかもしれないと、覚悟ともつかない不安なグラグラした想いはあったけど・・・やっぱりダメだった・・・

その日の異常な生理痛は、頚部にある異物を押し出そうと、陣痛のような状況が私のお腹の中で起きていたとのこと。

とにかく、頚部に出来ている「何か」が何なのか、早急に調べる必要がありました。
私は先生に、ガン専門の病院を紹介してもらいました。
そして「ボルタレン」という強い鎮痛剤を処方してもらいました。

次の日。

何事もなかったかのように無事に現場をこなし、クランクアップを迎えられました!

間一髪、現場に穴を開けたり、迷惑をかけずに済んだのです。

本当に、何かに守られた瞬間でした。

そして、クランクアップの次の日。
私は彼と都内の大きながんセンターの待合室にいました。

いよいよ今度こそ逃げられない局面に立たされていました・・・
この日から、私の半年以上に渡る子宮頸がん、体がんとの闘いが始まったのです。

またまたとっても長くなってしまったので、次回に続きます。