本日発売の、「美STORY」にて、私の連載がスタートしました!!!

連載一回目は、2005年に発症した子宮頸がん、そして今年発症した体がん、頸がんのこと、結婚した旦那様とのエピソードなど、6Pに渡って掲載されているので、
是非是非、ご覧頂ければ幸いです~!!!

私の、今よりもう少し短い、生えたてのクルクル天然パーマも大きく載ってます!
顔は真ん丸に浮腫んでますが、自宅近くの多摩川土手で、気持ちよく、楽しく
スカっと撮影したんですよ!

それから、母と二人、東京タワーの近くでおっきな笑顔で撮影した写真も最後に載ってます。私を産んでくれた、世界で一番大切な母との写真、是非見て下さい!

さてさて、月曜日の記者会見から2日ほど経過しました。
だいぶ、落ち着きを取り戻しつつあります。今日は一日天気も悪く、寒かったので、
自宅で久しぶりにのんびり過ごせました。
朝は、美STORYをゲットすべく、雨の中近所のコンビニエンスストアに走りましたが。

日中は、メールの返信にほぼ時間を費やして過ごしました。

でも、まだ全部に返信出来てない!こんなにメールが一挙にきたのは本当に初めてで、
有難い限りです。

それから、テレビ東京ドラマ制作部さんより、大きな素晴らしいお祝いのお花が届きました!!!飾ってあるリビングは甘いお花の香りで満たされております~。
本当に素敵なお心遣いに感謝感激です。



さて、改めてきちんと私からこれまでの経緯をここで発信させてもらいたいと思います。病気のこと。まずは、最初に報道があったスポーツ紙では、私が1月の手術後、
放射線治療をしたと表記がありましたが、月曜日のひるおびでも生放送で少し訂正
しましたが、私が術後に行った追加治療は、6クールの抗がん剤治療です。ここってかなり、大事なところなんですよ!放射線治療と抗がん剤治療は、ガンをやっつける治療という共通点以外は、全く別のものです。

それから、「子宮がん」というのは、頸がんと体がんと大きく二つに分かれるということ。全く別のものだということを、私も病気を経験して初めて知りました。

まず、2005年の子宮頸がん。

当時私は、2004年1月からおよそ1年ほど、事務所から仕事をお休みさせて頂いていました。JAAアロマインストラクターの資格も取り、気持ちも仕事に対して前向きになってきたので、そろそろ復帰しようかと考えていた矢先、2005年の1月に体調の変化を感じて、婦人科を受診したら、子宮頸がんの疑いが濃厚との診断を受けました。

実は私自身、小さな頃から病気がちな所がありました。

10歳の時、甲状腺機能亢進症を発症し、3ヶ月以上入院しました。
メルカゾールという薬を主に飲み続け、16歳まで通院を繰り返していました。

思春期を迎え、14歳で初潮がきました。それから毎月毎月、痛み止めを飲まなければあまりにも辛い生理痛に苦しむことに。

高校に進学する頃には、卵巣などにも時々支障が出て、腫れてみたり、痛かったり、
時々レディースクリニックにお世話になったりして、とにかく婦人科が弱くて、
自分のウィークポイントでした。

20代も、生理痛や、調子が悪くなると寝込んだり・・・。
仕事先でもあまりの腹痛に倒れてしまう時もあったけど、それでも、特に大きな問題
はないまま、過ごしてきました。

そして31歳になろうとしていた2005年初め、子宮頸がんに。

私自身は忘れていたのですが、2004年の7月に、調子が悪かったのか、病院を受診
していたようで、その時は頸がん検診で結果はシロでした。

その約半年後に、おりものの異常と下っ腹のひどい刺し込み痛に我慢できなくなって
再度受診したところ、子宮頸部に腫瘍が確認されたのです。

たった半年で突然大きくなった腫瘍。主治医の先生は、その急激な変化に注意を払っていました。

とにかくその腫瘍を摘出する必要に迫られました。
2005年2月21日、1時間ほどの、円錐切除手術が全身麻酔のもと、行われました。摘出した腫瘍を詳しい病理検査にまわし、調べると、低分子の上皮がんだと判明。
主治医の先生からは、標準治療として、子宮の全摘出手術を勧められました。

31歳という年齢。
揺れに揺れていたときでした。仕事。恋愛。結婚。出産。
沢山のこの一つとして落としたくない、自分にとって大事な大事なものたちが
どれ一つ自分の手の中にない状況。
満足に足りてない状況。

全部、手に入れたかった。手に入るかもと思ってた。

まだまだ若く、無知だった私。

欲しい物を全て手に入れる為に、がんなんて病気は邪魔で仕方なかった。
絶対自分はもう、大丈夫なんだと、強がりでもなんでもなく、本気で思うことにした。
それしかないと信じて疑わなかった。

この時、私は何も知らなかったのです。
がんという病気の恐ろしさを。なってしまったら、とにかく一刻も早く、処置をする。
そして、未然に防ぐ最善の努力をするべきということを。

手術をして悪い所、取っちゃったんだから、もう終わり!って勝手にピリオドを打ってしまったんです。

私は、かなり無理矢理な感じで、子宮の摘出を拒みました。
入院しようとしていた前日に、全てをキャンセルしてしまったのです。

この時に、子宮を摘出するという処置をしていたら、単純子宮摘出手術で済んでいました。サンプルで2,3個の骨盤内のリンパを取るだけで済んでました。
お腹の傷も、きっと10センチにも満たないもので済んでいました・・・。

主治医の先生からは、月に1度の検診を指示されました。
経過観察をしていく必要が、かなりの重要度であったのです。

それを、2007年までは続けていたのに・・・忙しくて、面倒臭くて、
もう痛くも痒くもなかったから・・・

またしても勝手に。病院に通うのをストップしてしまったのです。

これが一体どういう状況を引き起こしていくのか?

今日は長くなってしまって、私もとても眠たくなったので、また明日以降、こちらで
アップしていきますね。

最近、11時を過ぎると、パタっと眠たくなるのです。
本当に起きてられないくらい、気持ちいいくらい眠くなりますの。。。

途中でごめんなさい。

おやすみなさい~ZZZ