「神の眼差しを中心にして」ピリピ2:1~4 ピリピ書講解説教NO.11 | ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックと聖書でマーケティングを語る、ロックな税理士 原 眞人の伊東市から発信する中小零細企業の社長のための、「経営」「財務」「税務」のお役立ち情報です。

おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。

この火曜礼拝ブログは川奈聖書教会・火曜礼拝における

山口光仕牧師の説教をもとに加筆したものであり

山口牧師のオリジナルの説教とは多少、異なることを

ご理解下さい。

■「神の眼差しを中心にして」ピリピ2:1~4

1.一致点はどこにあるのか?


あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、

思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。


パウロはピリピ教会の調和を勧めています。

それは教会の中に分派や分裂、差別の問題があり

教会の一致が崩れていたからです。

一致、調和、一つになる。

これは聖書だけの教えではなく、世界中の人たちが

口にする事柄です。

しかしながら、時代はむしろその反対に進んでいるように

思えます。

ある神学者が言いました。

「真に人間を知ろうとするならば、

人間を超えたものを知らなければならない。」


人間は人間の視野の中で人間を理解しているつもりですが

それでは、真に理解することはできません。

蟻にとって、蟻が見ている世界が全てですが

けれども、私たち人間が見ている目においては

蟻たちが見ている世界は本当に極小なものであることが

分かります。

同じように、人間の視野の中では真に人間を

理解することはできないのです。

本当に分かっておられるのは神様だけ

神の視点を理解しなければ、

決して人間には人間のことが

分からないし、人間の生きるべき方向性を

正しく認識できないのです。


一致を求め、平和を求めながら

なぜ時代はそのように進まないのか?

それは一致点を人間の中に見出そうとするからなのです。

「ここが中心、一致点」

そうやって思い思いの視点の中で主張するから

結局、分裂や争いが起こるのです。


ですから、もしキリストにあって励ましがあり、

愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、

愛情とあわれみがあるなら、


私たち人間の世界の中に一致点を発見するのではなく

キリストから来る良きものの内に、私たちの一致点があるのです。

2.神様中心の視点

何事も自己中心や虚栄からするのではなく、

へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。


どんなに素晴らしいことをしても自己中心では

一致点を見出すことはできません。

自己中心は物事を自分の視点からしか見ることが

出来ません。

他の人から見たらどうだろうか?

あの人にはこう見えるかもしれない。

そういう多角的・客観的な視点を

備えることが期待されるのです。

聖書が人間に求めていることは

神様を中心に、神様がこの世界を、

人間を、この問題を

どのように見ておられるのか?

神中心の視点を持つことが出来るならば

信仰者として大人であると言えます。

しかしながら、このような神中心の視点を持って

生きて行くのは容易ではありません。

自己中心、人間中心が染みついた私たちが

神様中心に変えられていくための

ヒントをパウロはこう述べています。

3後半
へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。


「相手を自分より優れていると思う」

このことを通して、私たちは神様中心の視点を

身に付けていくことができるのです。

3.自己肯定・他者肯定


交流分析という心理学の分野で対人関係を通して

自分自身の心がどのような状態であるかを

調べる方法があります。

自分と他者をどのように見ているか?

4つのパターンがあります。

A. 私はOK、あなたダメ ・・・自己肯定、他者否定

B. 私はダメ、あなたOK・・・自己否定、他者肯定

C.私はOK、あなたもOK・・・自己肯定、他者肯定

D.私もダメ、あなたもダメ・・・自己否定、他者否定


私たちは自分を評価する目と他者を評価する目を持っています。

例えば、Aの「私はOK、あなたダメ」という視点は

一見、よほど自分に自信がある人に思えますが

そうではありません。

本当に自分のことをOKと思っている人は

他者のこともOKと思えるはずです。

本当の意味で自分を受け入れている

欠点もあるし駄目なところもあるけれど

でも自分を生かして下さっている自分だと思える人は

他者のこともそのように思えるのです。

「私はOK、あなたダメ」という人の自分に対するOKは

真実ではありません。

自分にOKを出したいけれどもそう思えない。

そういう葛藤を抱えた人です。

自分をOKと思いたいけれでも、そう思えない自分がいる。

そこで人を悪くするのです。

あの人がこれこれだから、うまくいかない・・・

そうやって常に人を批判しながら、自分にOKを出せない

訳を相手をNOにすることで作り出しているのです。

パウロは

「互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」

と言っています。

他人を自分よりすぐれていると思うことは

自分の過ちや弱さを責任転嫁しようとする私たちの弱さを

防ぐ役割を持っています。

人が完全ではないゆえに、誰誰のせいということが

現実にはあります。

けれども、人の過ちや欠点が真実であっても

その中に全ての事柄を詰め込むことは間違いなのです。

私たちがしていくべきことは、相手の悪いところをみつけて

責任の所在をそこに持っていくことではなく

自分自身の落ち度や欠点、罪、そうしたものを誠実に見つめて

いくことではないでしょうか?

4.自分との和解

他者の問題から離れて、自分自身を正直に顧みると

本当に嫌になります。

他者がどうであろうと、「自分をOK」などと

決して言えない、罪深い、弱い人間の姿を

見えてきます。

しかしながら、私たちキリスト者は己の汚らしい

姿に絶望して終わることはありません。

こんな欠点だらけの罪深い私たちを愛して

イエス・キリストの十字架の贖いによって、

私たちにOKを出して下さるその愛を

知ることができるのです。

そうやって自己との和解ができ、自分を受け入れる

ことができたとき、本当の意味で自分に対してOKが

出せるようになり、同じように神にあって

愛されている他者に対しても

OKを出せるようになるのです。

神中心の歩みはこのような素晴らしい人間関係を

もたらして下さいます。

「他者を優れた者と思い、過ちを見つけ出そうとしない」

これは、何より自分が問われている。

このことを通して、神様の眼差しに見える

自分自身を認識していけるようになるのです。

そのような恵みの中でついに

私たちは4節のパウロの言葉を体現する生き方へと

変えられていくのです。


それぞれ、自分のことだけではなく、

他の人のことも顧みなさい。


5.神様の眼差しを中心にして

日本国憲法前文
「日本国民は、恒久の平和を念願し、

人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、

われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、いづれの国家も、

自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、

政治道徳の法則は、普遍的なものであり、

この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、

他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」


キリストの精神に極めて近く、多くの場所が重なりあっています。

このような憲法が与えられているのですから

これを守っていくこと、そしてこれを体現していくこと

がキリスト者の務めであろうと思います。

一方でこんなものは理想論に過ぎないという批判が高まっている時代です。

議論は大事ですが、本当に求められているのは

「善を持って悪に打ち勝て」

「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」

「剣を取るものは、剣に滅びる」

愛の力に信頼した平和主義の精神に私たちが生きること。

理想論であるのか?

それとも

真理であるのか?

真理であると信じる私たちキリスト者がまず剣を置き

私たちに向けられた剣に愛を持って向かっていくべきではないでしょうか?

こうすることによって、主の真実が表されるのです。



ベルギー出身の19世紀のカトリックの司祭ダミアン神父は

ハワイに遣わされ8年間の宣教活動に従事した後

多くのハンセン病患者が暮らすモロカイ島へ

召されます。

島の人々に福音を語りますが、彼らは見向きもしませんでした。

モロカイ島へ来て9年目のこと、突如、ダミアン神父の言葉が

力を持って、島の人々を作り変えるようになりました。

力を得るようになったのは、ダミアン神父自身がハンセン病を患ったため。

この時を境に島の人々はダミアン神父に対する姿が大きく変わり

多くの人々がイエス様を信じ受け入れるようになりました。

ダミアン神父はこう述べています。

「私は9年間「あなた方ハンセン病患者」と語ってきました。

でも、今は「私たちハンセン病患者」と語れるようになったのです。」

隔ての壁はこうして崩れたのです。

様々な対立が世界中にあり、その対立の壁を壊すために

剣を振りかざす。その剣の力によって平和の一致を築こうとしている。

しかし、私たちキリスト者は、神の姿を捨て、地上へ降って

来られたイエス様の愛の力を信じて、神様の眼差しに信頼して

生きるのです。


大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!!