ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックと聖書でマーケティングを語る、ロックな税理士 原 眞人の伊東市から発信する中小零細企業の社長のための、「経営」「財務」「税務」のお役立ち情報です。


テーマ:
おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。

■何が本当の景観なのか?

昨日、伊豆新聞の一面に掲載された記事



海岸沿いのなぎさ橋-伊東港の約700メートル間に

約8メートルの丘を築き、木々や花を植え

自然豊かな景観を整備し、頂上にはレストラン、カフェ

テラス、足湯などを設け、丘の中はトンネルにしバイパスが通る

ようにする。


このようなことを東京在住の建築士が提唱している。

伊東市の海沿いに国道135号線が走っている。

僕が高校生の頃、田代バイパスができ、新井地区から

松原地区、湯川地区そして宇佐美地区まで

海岸線の国道が整備された。


この建築士はさらにこのようなコメントをしている。

「伊東は海の街。(国道135号線)バイパスができて

海に行く道が切れてしまった。このことが伊東が衰退した

大きな原因」



確かに、僕が小学生の頃は新井地区から松原地区、湯川地区までの

海岸線の道は交通量も少なく、とてものんびりとしていた。


でも、海岸線の国道が整備されたことで海に行く道が切れた

なんて感じたことはない。


かえって、海岸線の歩道が整備され、市民がウォーキングや

ジョギングしたり、観光客が夏以外でも散策する姿が増え

賑わいが創出された。

海岸線の国道が整備されたことで伊東の海岸線の景観は

新井地区から宇佐美地区まで一望できるようになり

とても開放的になったと思う。


この建築士が提唱する8メートルの丘を作ってしまったら

この素晴らしい海岸線の景観が失われてしまう。

もちろん、せっかく伊東の海岸を車で走らせても

トンネルの中からでは何も見ることができない。


何が本当の景観なのか?

今、ある伊東の海岸線の景観以上のものを

人工の丘で作れるというのか?



大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!

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■「全きものとなれ」創世記17章

川奈聖書教会火曜礼拝では、

アブラムの生涯を中心に創世記を学んでいます。


1.かけがえのない時間とは

先週、学んだハガルの事件から13年の歳月が経過しております。

13年間の間に何が起こったか?

ハガルのお腹にいたイシュマエルは13歳になり

ハガルとサライの間に起こったごたごた劇が収束している。

アブラム家にとって平安のうちに歩んだ13年であったと

読みとることができます。

この13年、神様は沈黙されたわけではありません。

神様は13年毎日毎日アブラムに祝福を注ぎ続けて下さったのです。

13年前、一族がバラバラになるような危機があったことを

忘れさせるほど、アブラム一族は平穏のうちに歩んでしる。

神様の祝福を確かに見ることができるでしょう。

私たちの人生においてもアブラムと同じような経験が

あるのではないでしょうか。

人生の目標に向かって頑張る。

これは素晴らしいことではありますが

もし、その目標が実現できなかったら?

「私の人生はなんのためだったのか」と

思ってしまうでしょう。

逆に、全てを注ぎ込んでついにその目標が叶った。

そうしたら、苦労が報われるのか?

今度は人生の目標が叶ってしまった虚しさに襲われる。

私たちが人生を終えるときに、振り返って

愛おしく思える出来事はどんなものなのか?

「夢が叶った特別な機会」

「努力して実現させた大きな仕事」

たぶん、こういうものではない。

結局、私たちにとってかけがえのない時間とは

「日常」なのです。

家族がいて、友人がいて、毎日、当たり前のように

繰り返していた日常の穏やかな生活。

そこにこそ私たちの人生の幸いがあります。

アブラム一族に与えられた13年間

今だ実現しない神様の約束に備えられていた幸いな時間でした。


2.改名

 アブラムが99歳になったとき主はアブラムに現れ、

こう仰せられた。

私は全能の神である。あなたは私の前を歩み全き者であれ。

 
長い時間をかけ、準備された神様の計画が実現される

ときが近づいてきました。

「私の前を歩み全き者であれ」

不完全な人間に対し、全きものとなれと命じられる神様。

私たちが全き者となることが出来る道を神様は

備えていて下さるのです。

17:3~15

アブラムはひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。

「わたしは、このわたしの契約をあなたと結ぶ。

あなたは多くの国民の父となる。

あなたの名は、もうアブラムとよんではならない。

あなたの名はアブラハムとなる。

わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」


アブラムは神様様から改名を命じられます。

「アブラム」=高貴な父

から

「アブラハム」=多くの人々の高貴な父

一族の高貴な父であったアブラムが

イスラエル民族の父、そして神の民の父、

広く言えば、クリスチャンの父となる。

プライベイトな領域から、パブリックな領域へと

アブラムの存在が移される。大転換がここにあります。


アブラムだけでなく、サライにも変化が起こります。

17:15

また、神はアブラハムに仰せられた。

「あなたの妻サライのことだが、

その名をサライと呼んではならない。

その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福しよう。

確かに、彼女によって、あなたに一人の男の子を与えよう。

私は彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、

国々の民の王たちが、彼女から出てくる。」


サライからサラへの改名が命じられます。

サライ=私(アブラム)の王女

から

サラ=王女

への改名は、アブラム個人にとっての王女ではなく

多くの人々にとっての王女、つまり

信仰の母としての個人的領域から公へと移されることを意味します。


この二人への改名の命令は、約束の子が与えられるための準備

心構えを与えるための神様のご介入でありました。

個人的な領域から公への転換期

それは私たちの人生にも起こることです。

自分の行動、言動が、自分の所属する集団全体に影響する。

組織と自分とがイコールのようにして見られる。

これは非常に重たいことです。

アブラムは信仰的・霊的な意味でこの変化を経験しました。

これまでは、アブラムの行動はアブラム一族の問題であった。

それが、アブラムは神の民を代表する父として位置づけられ

アブラムの失敗は、神の民全体の失敗

アブラムの成功は、神の民全体の成功

と位置づけられる。

アブラムは100歳、あらゆるところが衰えてきている。

サライも同様です。

人間的に見れば、明らかに下り坂

しかし神様はそんなアブラムに信仰的な飛躍を求められるのです。

そして時を同じくして、ついに約束の子イサクをお与えになる。

アブラムの今までの生涯で起こった様々な出来事が全て

この時のための序章であったともいえます。

いよいよ、アブラムの真価が問われます。

私たちは社会での第一線の仕事を終えると

自分の役目を終えたような気分になってしまう。

しかし、様々な訓練を経験し、何とか生き抜き

肉体的に衰えたときに、そこでこそ神様は

それまでの訓練の信仰的成果を私たちに求められる。

神様は若い人が肉体的に強く

年老いたものは弱くなるように創造されました。

それは、若い者は信仰の弱さを肉体で補う。

年老いた者は、肉体の弱さを信仰によって補い生きるからです。

Ⅱコリント4:16
「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる」


年をとり、外面的な強さが失われたときに

もはやそのようなものを必要としない

内側の力がしっかり養われている。

これが神様が私たちに求められいる成長のプロセスです。


3.全き者となれ

私たち人間は神様のように、全き者となることが出来ない

ことは、ダビデ、アブラムの生涯をみても明らかです。

全き者とは、責められるところの無い人間という意味です。

実際、私たちは責められるところを山ほど抱えていますが

そんな私たちを神様は全き者として認めて下さる。

そのような道を神様は備えて下さった。

それが、10節の最後にある「割礼」です。

17:10~11
次の事が、わたしとあなたがたと、

またあなたの後のあなたの子孫との間で、

あなたがたが守るべきわたしの契約である。

あなた方の中のすべての男子は割礼を受けなさい。

あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。

それが、私とあなたがたの間の契約のしるしである。


割礼の儀式自体が罪を許したり、人間を完全にするわけでは

ありません。

私たちに人間がすべきは ”信じること”

この一言につきます。

その信じたことの印として「割礼」がある。

全能の神様が欠点だらけの私たちを一方的な恵みによって

全き者として認めて下さる。

このことを信じることが、私たちが唯一、神様の前を全き者

として歩むことができる道なのです。

この契約の恵みを忘れないようにと与えられたのが割礼なのです。

男性性器の一部を切り取る。

命の源といえる性器の一部を傷つける。

生身の人間にとってこれは、非常な苦しみを伴うことなのです。

神様はまさに、アブラムと私たちに人間と契約を結ぶことによって

命の源といってよい、一人子イエス・キリストを切り取られる

という痛みを経験される。ご自身の体を切り取られるという

痛みを経験される。

アブラムたちは割礼の痛みによって、またその傷を見るたびに

神様が自分たちと契約を結ぶそのために負って下さった痛みを

僅かでも思い出すのです。

そしてキリストの十字架の恵みの一端を味わうことができる。

今、私たちは割礼の痛みさえも許され、洗礼式をもって

割礼の印に替えさせて頂いております。




神様の救いを受ける見返りは

私たちが、「イエス様を主である」と告白して

洗礼を受けることだけ。

神様はそれで良しとして下さるのです。

私たちは非常に弱く、移ろいやすいものであり信仰の炎も

消え去ってしまうときがあります。

そんなときに

「洗礼を受けた者は、私の救いにあずかったものだ」

と洗礼の印によって、私たちは神様の恵みの確かさを

覚えることができるのです。


パウロはこのように教えています。

コロサイ書1:24
「私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。

そして、キリストのからだのために、私の身をもって、

キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」


イエス様は、苦しみを残して下さった。

イエス様の苦しみのほんの一部の欠けを味わうことによって

私たちはイエス様が私たちのためにどんな大きな犠牲を払って

下さったのかを知ることができます。

ときに私たちは、不条理な経験をするかもしれない。

理解されず、誤解され、人の罪の犠牲となるような経験

そういうことがイエス様が残された苦しみの欠けなのです。

一人、一人の試練を通して、キリストの十字架の苦しみの

一部分をいただき、そのことによって神のご愛に

満たされるように導かれています。



大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


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こんにちは。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。


「儲けなくっていいです」それって無責任

以前、とある事業者さんの試算表を見て、

その方にアドヴァイスしていたときのこと。

その事業者さんがこんなことを言いました。

「うちは、そんなに儲けなくっていいです」





今まで仕入れていたものより、高品質なものを仕入れるようになり

原価率が上がり、粗利益を圧迫していることを指摘すると

仕入れの上昇を売値に転嫁できないことの説明(言い訳)で

上記のようなことを言われました。

値上げすることで、お客さんが離れていくのが怖い。

多分、これが本音のはずです。

それじゃ何のために単価の高い商品を仕入れるのか?

そこのところも曖昧でした。

「良いものを安値で」

顧客側としてはありがたいですが

これって、はっきり言って事業者として失格です。

良いものを提供するなら、顧客にその商品の価値を伝え

値上げを納得してもらう。

そんな当たり前のことを放棄している。

粗利益が悪くなると、それがそのまま

経営に影響を及ぼす。

資金繰りがタイトになり

取引業者への支払いが滞り

金融機関への支払いもきつくなる。

事業者は儲けなくてはダメなんです。

儲けられなくなった事業者はいろんなところで迷惑をかける。


「儲けなくっていいです」それって事業者として

とても無責任な発言、そんな人は事業をやる資格はない。



大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


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