「恐れを締め出す愛」ルツ記1:6~9 | ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックと聖書でマーケティングを語る、ロックな税理士 原 眞人の伊東市から発信する中小零細企業の社長のための、「経営」「財務」「税務」のお役立ち情報です。

おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。


■ 「迷いつつ前に」ルツ記1:1~3
川奈聖書教会の火曜礼拝はルツ記を学んでいます。

ベツレヘムのききんから逃れ、モアブへ一家で移住したナオミでしたが

慣れない土地での苛酷な開拓、開墾により

夫エリメレクが亡くなり、その後、息子たちはモアブの女性と

結婚し、10年間過ごしますが

その息子たちも相次いでなくし

ナオミはモアブ人の嫁二人と取り残されてしまいます。


6、7節
そこで、彼女は嫁たちと連れだって、モアブの野から

帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を

顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。

そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、

今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため

帰途についた。



ナオミはベツレヘムへ帰ろうと考えます。

ミレアン人たちの襲来が止み、ベツレヘムに平和がもどった

ことを聞いたからです。


あのとき、そのままベツレヘムに居れば

夫も息子たちも亡くさずにすんだかもしれない

そんなナオミの後悔がうかがえます。


私たちは私たちを本当に支えてくれる大事なものは

体の一部のようになって、特別なものと感じることは

できなくなっています。

でも、その支えてくれているものが無くなってしまうと

混乱し、自分の本当の姿に気づき

深い悲しみと痛みに直面してしまいます。

ナオミは3人の死に直面し、3人の家族がいかに大切であったか

3人が取り去られた後、自分の心、自分の存在がどういうものか

自分自身の本当に姿を目の当たりにし

自分の原点である、ベツレヘムへ帰ることを決心します。







二人の嫁もナオミとともにベツレヘムへ行くことを望みます。

これはナオミにとってはとてもうれしいことでは

ありましたが、旅を続けるうちに

このまだ若い、やり直しがきく二人の嫁を

ふたりにとっては生まれた地であるモアブを離れさせ

自分に同行させ、異教の地であるベツレヘムで

生きていくことが幸せなのであろうか?

自分に問いかけます。


そして、意を決して二人の嫁に語りかけます。

8、9節
そのうちに、ナオミはふたりの嫁に

「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。

あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように

、主があなたがたに恵みを賜り、あなたがたが、それぞれの

夫にの家で平和な暮らしができるように

主がしてくださいますように」

と言った。

そしてふたりに口づけをしたので、彼女たちは声を

あげて泣いた。


この件には、ナオミの二人の嫁に対する愛が

溢れています。

「あなたたちはまだ若いのだから

私についてこないで、モアブへ戻り

そこで新しい伴侶をみつけ幸せになりなさい。」


故郷であるベツレヘムではありますが

年老いた女がひとり、ききんが去って間もない地で

再出発しなければならない恐怖は、はかりしれません。


ヨハネの手紙 第一 4章18節

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。

なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。

恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。


「愛」と「恐れ」は対立関係にあり

 共存することはできません。

「神は愛である」

したがって、

「愛に生きる」ということは「神とともに生きる」

ことを意味します。

私たちは自分を守ろうとして、満たそうとして

自己中心になり、かえって貧しく、弱くなり

不安に襲われてしまう。

恐ろしいけれど、弱いけれど、まだ、十分ではないけれど

まず、愛に生きることを選ぶから

貧しい私たちは満たされ、強くされるし、恐れから解放される。


ナオミも不安だらけだけれど、嫁である

ルツを愛し、オルパの将来を案じ、愛に生きたときに

ナオミ自身の行く末を案じる恐れが締め出された。


私たちは恐れがなくなったから愛に生きるのではない。

また、十分に満たされているから、愛に生きるのではない。

恐れの中で愛することを選択するときに恐れは締め出され

平安、力、慰めが与えられる。

この順番を覚えなくてはいけません。


スットックホルム症候群という精神医学用語があります。

誘拐事件や監禁事件などで

被害者が犯人と長い時間過ごすことで、

奇妙な連帯感や仲間意識が生まれることをいいます。


非常に刺激的な出来事を共に過ごすことによって

人間が魅かれあい、強いきずなが生まれます。


ナオミ、ルツ、オルパの三人の女性たちもまた

夫を亡くすという共通の痛み、苦しみ、悲しみから

強い絆が生まれ、三人寄り添うように生きてきました。


このような三人の関係性は痛みを和らげたり

慰めたりするのには有益ですが

その中に留まっていても問題は解決しません。

いつかは自分が抱える問題に向き合い

本当の自分と対峙しなくてなりません。


この三人の良い関係性が実は足かせになってしまい

依存関係の中で生きるしかなくなってしまいます。


ナオミは二人の嫁に、私と別れ新しい生活を始めなさい

と足かせになっている三人の関係を終わらせようと

申し出ます。


自立に向けた歩みの土台には主の臨在があります。

神は絆を埋没させずに

そういう力を支えにして、一人一人が

与えられている使命を果たせるように

私たちを立ち上がらせ、一歩を踏み出す勇気を与えて下さいます。


人の愛には限界があります。

人に依存させてしまうことは親切心であっても

人を殺すことになる。

隣人を生かし、私たちを生かすことが「できるのは神様だけなんです。


ナオミがどんなに二人の嫁を愛しても

彼女たちを生かすことはできません。


私たち一人、一人を生かすことが出来るのは神だけなのです。

依存関係を断ち切り、自立に向け歩みを始めよう。

愛に生きることを選べば、恐れは締めだされる。




大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!