いろいろあった中学校剣道部も引退。


高校進学を決める時期が来る。


名の知れた市内の高校は、稽古をさせてもらいに出向いていたから、厳しい学校・ゆるい学校は知っていた。


もう厳しいのは嫌だ、勝ち負け嫌だ、楽しくいきたいと思った自分は、仲のいい先輩や憧れのかっこいい人がいるA高校に行こうと決めていた。


A高校は強くもない普通の高校。


でも、頭が良くない自分は、頭のいい学校ではなかったけど難しかった・・・。


部員他4人は、監督の推薦で決まっていく。


でも監督は自分の意思を許してはくれず、ただ一人推薦してもらえなかった。


「お前がいくところはそこじゃない」


A高校の評判や内情を知っている監督や部員たちは、猛反対だった。


それでもA高校に行きたい自分は、必死に勉強した。


試験前日、監督の態度が急変し、応援してくれた。


今思えば、当時の監督が変わることが決まったからかもしれない。


後から聞けば、試験の点数は足りなく、剣道部の監督が引っ張ってくれたらしいが、何とか合格できた!!


1番勉強した時期だったな・・・。


そしてすぐに、剣道部の練習に呼ばれ、3月にある秋田の大きな大会にも呼ばれた。


そこで、中学の親友はすでに補欠になっており、試合にも出ていた。


初めて親友との壁を感じた時だった。



剣道部、憧れのキムタク似のかっこいい先輩がいるだけでドキドキ。


部活に来るのがこんなに楽しいなんて。


でも、自分から話しかける勇気はなく、自分によって来る先輩は、中学の時に一緒に稽古をした、印象の悪い先輩。


その先輩は、何回か会ったりして、なんか嫌だという印象が大きかった。


だが、その嫌だと思っていた先輩のことを、後々生涯忘れられないほど好きだった先輩に変わる・・・。


高校入学。


高校生活は楽しい毎日だった。友達も出来て、中学のような感じもなく、みんな自由に分かり合った。


剣道部のほうは、とにかく練習が楽だった。まだ、厳しい感覚が残っている自分は、これでいいのかと思いながらも、拍子抜けのように楽だった。


稽古をさぼる先輩もいて、人数が少ないのも当たり前。


いつのまにか自分も染まり、稽古をさぼったり、稽古しても適当にやる自分がいて、いつの間にか体もそのようになっていた。


試合に出ても、中学の時のような勝たなきゃいけない思いは消え、負けるように持って行った時もあった。


そんな試合を中学の監督が見ていて、叱られた時もあった。


中学の時は注目されて、プレッシャーもあり、それが自分に火をつけていたが、そういうのもなくなり覚めてしまったのもある。


1度、3位決定戦で観客が見ている状況になったときがあった。


その時はついなつかしく、自分は大将だったが、副将まで皆負けてきたなか自分ただ一人勝った時があった。


相手が泣いていた記憶があるが、高校で活躍したのはその時だけ。


中学の一緒だったメンバー2人は、強い学校に進みお互いにライバルで試合をしている時もあり、それを観客席で見ていた。


時々、自分の選択が間違ったか、監督の言う事を聞いたら良かったかと思ったこともあったが、でもクラスの友人と過ごす時間、先輩達と過ごす時間が楽しくて、剣道は2の次、3の次になっていた。


とにかく、先輩と過ごす時間が楽しくて、恋愛もして、HAPPYだった。


恋愛も、嫌だったという先輩といろいろあった。


いろいろあり、今は何でも相談できる友達。


なかなかこういう関係にはなれないだろうし、A高校に入学して先輩たちに出会えてすごくすごく良かった。


先輩たちが卒業した後の剣道部は悲惨だった。


女部員も3人しかいなく、趣味も合わず、いつもやめたいとばかり思い、よくさぼっていた。


3年生になって、監督が変わり、厳しい人だった。


さぼらず、残りの時間は必死にやろうと思い個人戦にかけたが、ブランクは大きく3回戦くらいで負けた。


そこで初めて剣道に対して後悔した。


もっとまじめに稽古するべきだったと。


「さぼる」という憧れが本物になった時、人は怠けてしまうのかな。


でも、いろんな体験が出来た。


勝ち続ける体験。


負ける体験。


剣道で学んだ事は多い。


また最近、剣道で学ばなきゃいけない事が多くなってきたようだ。。。


前回の続き。


2年生2人と、1年生の私を含めた3人がレギュラーで、試合に出ても


3年生相手に勝てる訳もなく、1回戦を勝つのが精いっぱいだった。


初めてもらった賞が「応援賞」。


3年生が引退すると、どんどん試合に勝てるようになり


強くて有名だった学校に勝って優勝した時は、部員みんなが震え上がった。


勝っていいのかー?


いつの間にか勝つのが当たり前になっていた。


監督には蹴られ、叩かれ、1本づよいされ・・・


どんどん鍛えられていく。


数々の大会で優勝したり、準優勝だったり・・・


1年過ぎ、先輩3年生が最後の全国がかかった県大会・・・・・・



負けた。



悔しかった。



大好きな先輩達と全国までいきたかったのに。



みんなで泣いた。そして誓う。


来年は先輩たちの分まで勝つと。


先輩達と最後の大会となる東北大会は、ライバルに勝ち優勝した。



3年生引退。


2年生私たちの時代となる。


レギュラーだった3人にプラス、同い年の子2人がレギュラーになったが、


一人は初心者。


4人でカバーしていく形となる。


もともとレギュラーだった3人は絶対に負けられない。


勝たないといけないと監督に言われるが、


デビュー戦。


私一人絶頂のスランプにおちいり、勝てない・・・。


監督に叱られ、応援に来ていた先輩に心配され


プレッシャーに負けた自分。


そこから中堅は任せられなくなった・・・。


それから練習を重ね、自信を取り戻していく。


剣道はそんな感じだけど、中学校は同じ部員同士でいろいろあった。


仲間外れ、しかと、喧嘩・・・・いろいろあったが、仲も良かった。


チームワークで強かったのかもしれない。


中学校の思春期って感じかな。


勝つのが当たり前になっていた私たちは、いつからなーなーとなり


3年生春の大会で、1こ下のチームに負けた。


翌日の稽古に、久しぶりにコーチがきて、みんなボコボコニされ


いつもだったら、親友で1番強い子がやられてるのに、


私がやられた。半殺し・・・・・


「お前が1番変わってない」


そこで目が覚めた私たちは、残りのじかんを必死に頑張った。


先輩たちとの約束を果たさなければ・・・


結果・・・約束を果たすことが出来た。


監督の有言実行。


当時は恐怖の固まりだったけど、卒業して監督のすごさに実感させられ


感謝をしている。


目標を果たした私たちは、満足したのかそこから気持ちがバラバラになっていった。


他の試合東北の大会でも優勝していた私たちは、東北大会でも優勝するだろうと言われていたが、


ベスト4止まり。


愛知での全国大会も思うように試合ができず、リーグ戦を突破できなかった。


それが最後の私たちの剣道だった。


負けて初めて気づき、みんな大泣きした。


もうみんなと一緒に剣道をやることはない。


これで最後。


いろいろあったけど、みんながいたから頑張れた。


みんながいたからここまでこれた。


ありがとう。


みんな、泣いた。


だけど私は、勝たなきゃいけないというプレッシャーから逃れた自分にどこかでほっとしていた。


これで自由。


中学生だから好きな人一人いてもいいけど、自分の中に押し込み剣道を優先してきた。


何かあれば剣道。


解放される。監督から蹴られることもない。


高校になったら自由にしよう。恋愛もしよう。そう決めていた。


つづく





今日は、特に何もすることなく、ゆっくり過ごしています。

暇だから、ブログを書きます。

先ほど家出の決心のブログを書いたばかりだけどにひひ



今年で30代になる私。


はやいなー。


華の20代もあと弱半年。


20代を振り返ると、何もしなかったなーカゼ


すっかりと運動不足の不健康な体になっています。


ここ数年、昔嫌々にやっていた剣道をまた始めたいと思いつつ


1歩踏み出せないでいます。


学生時代はもっと輝かしいスポーツをやりたかったと思っていたけど、


最近になって剣道の良さが分かるようになった。


どうしてもっと早く気付かなかったのだろうか。


剣道と言ったら、子どものころはやって当たり前のものだったなー。


当時を振り返ってみよう!!



小3の冬、まわりのクラスメートがスポ小を決める時期。


ボール遊びが好きだった私は、バレー部かバスケット部に悩んでいた。


当時、兄が剣道をやっていて、よく練習を見に行ってた自分は


同じ体育館で練習しているバレー部を見て


監督の怖さに震えあがり、バスケットにしよう!って決めて親に告げた。


書類に記入してもらい、先生に提出。


ところが、親はバスケットではなく「剣道」と書き、


泣き泣き練習へ連れて行かれた。


毎日体育館に着くまでいやだいやだと泣いていた事を今でも覚えている。


部員は女が私一人だった。


同じ学年は、私を合わせて8人。先輩たちは15人くらいいたかな?


男社会に私一人女の子。救いは同じ体育館で練習するバレー部の


女の子たちだった。


そして、3か月たち、新人戦があった。


剣道は団体戦が5人であり、いくら新人戦でも自分は女だから当然補欠だと思っていた。


なのになぜかレギュラーに選ばれ、男児の母からは嫌味も言われた。


結果、なぜか勝っていて、3位だった。


それでも自分は嫌でしょうがなく、父にやめたいと言った。


父は、「やめてもいいけど、ここでやめると勝ち逃げだ」と言われ、


それからやめたいとも言わず、稽古に行くようになった。


勝ち逃げって、3位のくせに・・・。


自分にレギュラーを取られた男児数名は、いつの間にか部をやめて


ちょうど同じ学年は5人になった。


でも試合は6年生が出るから、ほとんど応援。


5年生になると、生涯の友人となる女の1こ上の先輩が転校してきて、


2つ下の女の子も新しく入部したから、女が3人になった。


6年生になると、試合には私たちが出るようになり、


出場チームの多い水戸大会(全国大会)にも出ることが出来、


我が校では初めて3回戦まで勝ち進むことが出来た。


それが引退試合。同じ部員には感謝してる。


女だろうと関係なく相手をしてくれた。でも、強かった男児2人は中学校では


続けなかった。続けてたら、男子も強かっただろうに・・・。


小学校卒業・・・。


中学校入学・・・。


中学校は自らというより当然のように剣道部に入部した。


兄が中学校で剣道をやらされていて、親やまわりの人たちもその気だった。


その当時の監督がめちゃくちゃ怖い先生だったけど、転勤が決まったから


喜んで入った。


しかも、中学校からは、男女が別れ、女がたくさんいる環境に夢を見ていた。


だけど・・・新しく来た監督も怖い先生だった・・・。


1年生。

 3年生の先輩は0。2年生の先輩4人。1年生のタメ5人。


初めて監督にあった時、1年の私たちが集められ、


「お前たちを全国大会まで連れて行く。だから俺の言う事を聞け」


それから厳しい稽古が始まった。



つづく